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Vol.11 『引力』
中間考査が終わると、校内は一斉に文化祭の準備に入りお祭りモードへと変わる。
近隣の高校では9月の中旬から下旬の開催が多い中、志木の高校では昔から律儀に11月の文化の日前後に開催されていた。
クラスごと、クラブごとに出し物があるので、部活動をしている生徒は掛け持ちになって必然的に忙しくなる。
3年生は模試や受験勉強の合間を縫っての参加になるが、そのぶん瞬間的な盛り上がりも大きい。
「志木ーこっちもよろしく!」
「どこ?」
「ここ。上」
「あいよ」
志木は二つ返事で身軽く脚立を駆け上がった。足場に腰を下ろし、片足でバランスを取って、手際よく釘を打っていく。
「上手いよねー。この手のバイトしてんの?」
降りてきた志木に、近くにいた女子生徒が問い掛けた。
「おととしの夏休みにちょっとな。でも昔っからこういうの好きだぜ」
亡くなった父親が木工が好きだった影響もあり、志木も幼い頃からその手のことが好きだった。プラモデルなどもよく作ったし、夏休みの宿題の工作にはいつも手の込んだものを提出していた。
高校1年の夏休みに知人の紹介で工務店でアルバイトをした時には、棟梁にいたく気に入られてすぐにでも本格的に働いてみないかと誘われもした。
中学卒業後の就職も考えていた志木としてはすぐに働きに行くのでもよかったが、進学させてくれた母のためにも中退という選択肢は取りたくなかった。それに志木は、建築という大きなものよりは小さなものを作るほうが好きだった。
そういうわけで、誘いは断って今に至っている。
だが得意分野なのに変わりはないので、文化祭や体育祭の時期になると、必然的に大道具・小道具係に回されていた。
今年の文化祭では志木のクラスは教室で飲食店をやるのでそれほど仕事はないが、今日はクラスメートの演劇部員に駆り出されて大道具の助っ人をしている。演劇部は男子部員が少ないので、学校行事のように準備期間の短いときは大抵誰かしらが手伝いに来ていた。
普段バイトがあることを理由に、委員会などクラスの誰かが引き受けなければならない雑務を免れている志木は、自分の手が回る限りのクラスメートからの頼まれごとは断らない。
試合当日だけでなく、ある程度の期間は練習に参加しなくてはならない運動部の助っ人は難しいが、作るものがおおまかに決まっていて、放課後1〜2時間の作業を数日続ければ終わる大道具作りなら手伝うことも可能だ。
だから、演劇部の手伝いをするのもこれが初めてではない。
「志木ぃ、これ直せるー?」
木材の山を乗り越えて3年生の女子部員が持ってきたのは、小道具につかう小箱だ。蝶番が片方なくなり止め金が緩んでいるだけなので、代替品があれば問題なく直る。
「アリガトね〜毎年」
志木が度々手伝わされるのは彼女がいるからだ。高田仁美。3年間志木と同じクラスで、演劇部の部長である。
「時間までに帰してくれりゃかまわねえよ。それより演劇部って引退ないのか?」
仁美は進学コースではないが、進学・就職の如何にかかわらず3年の夏で引退というのが大方の部の慣例だ。
「全国大会は8月上旬だからそこで代替わりってトコが多いけど、ウチは部員が少ないから文化祭がラストなんだ。受験とか就職活動に差し支えないように3年生はメインキャスト張らないけどね」
「高田は何役なんだ?」
「王妃様。兄王子を病気で亡くしたお姫様が、兄王子に成り代わって男装して巨悪を倒す話なんよ」
「ドレスとか着るんだ?」
「着るよー。ああいうのって、普段着れないから快感」
言って、仁美はニッと笑った。
「珍しいな、その手の話やんの」
よく手伝わされるので知っているが、仁美ら演劇部が西洋風の時代物を手掛けたのを見たことがない。大抵現代物だ。
志木の言いたいことをすぐに察した仁美は頷いた。
「ウチは貧乏部だからね、お金掛けらんないからいつも現代物やってんの。でも夏にOGの人が衣装たくさん寄贈してくれたから出来るようになったんだよ」
「寄贈って、買ってくれたのか?」
「ううん〜なんかね、ヘアメイクさんが知り合いにいて、そのツテで映画会社の倉庫の中古衣装が手に入ったとかで。だから、お古だけどちゃんとした作りなんだ」
「へえ〜良かったなあ」
「うん。でも来年からある意味きついんだよねー。志木いなくなっちゃうし」
「なんで俺?」
志木は部員でもなんでもない。いなくなったところで何が変わるというのだろう。
首を傾げている志木の肩を、仁美がぽんぽんと叩いた。
「大道具と小道具、ずいぶん助かっちゃってたもん。ベンチとかまで作ってくれたじゃん」
ベンチを作ったのは去年の話だ。
コンクール地区予選を前に演出を変更して、どうしてもベンチが必要になったが借りる算段がつかない。
額を付き合わせて考え込み、終いには喧嘩腰の言い争いになってしまった様子をたまたま端で見ていて、適当でいいのなら作ろうかと志木から言い出した。
ちょうど大道具の手伝いに呼ばれていたので、やることは同じだ。舞台上でベンチに見えればいいのなら、あり合わせの木材でそれらしく作れないこともない。
「でも、ペイントはおまえらもやってたろ」
「塗るのは誰でも出来るよ。この色をこういう風に塗ったらいいって志木がアドバイスくれるしさ。作るのはやっぱ、センスと才能だよ。向き不向きもあるっしょ?」
「そこまで大層なモンじゃねえって」
仁美の賛辞に志木は苦笑を返した。
好きが高じて凝りがちになるが、斬新な意匠でも唸るような出来でもない。大きくても小さくても“道具”なのだから、使いやすいのが一番だと思って作っているだけだ。
「部員は昔のほうが多くて活気あったみたいだけど、舞台装置はレベル上げたと思ってんの、あたし。演出も脚本もね」
演出を担当しているのは3年生の中嶋智史。数少ない男子部員の1人なので、役者も兼ねている。
脚本は同じく3年生の森崎真理。脚本では地区大会で優秀賞をもらっていて、何かの雑誌にも載ったらしい。
部員数、特に男子部員の少なさからなかなか全国への道は開けないようだが、毎年地区予選ではいいところまでいっている。
過去5年間で全国区の大会まで進んだ実績があるのは、数学科の杉下が顧問をしているハンドボール部とこの演劇部だけだ。
「昔は西洋ものもやってたんだよー。休憩がてら写真見てみる?」
仁美が休憩用の缶ジュースの入ったビニール袋を掲げて見せたので、志木は工具入れを腰から外して作り途中のセットから離れた。
続々と休憩しにやって来た部員や助っ人に何種類かの缶ジュースの中から飲みたいものを選んでもらって配っている間に、仁美がアルバムを取ってきた。
アルバムを広げた仁美に確保しておいた缶コーラを渡し、志木もアルバムを覗き込む。
「これが10年前かな。この頃が一番すごかったみたい。全国で賞も取ってたんだよ」
広げられたページの写真には、ドレス姿の数人が写っていた。男子部員の写真もあり、羽のついた帽子に白タイツと、志木ならちょっと遠慮したい(というか絶対に似合わない)ような衣装で剣をかざしている。
その中に、ひときわ目を引く写真があった。
腰までの長い髪で、幅広のカチューシャのようなものを着けている。ハイウエストの純白のドレスにきらびやかさはないが、どこまでも可憐で清らかだ。そして、最も目を引くのはその容貌だった。
美少女なのだ。他の部員と並んでいる写真を見ると小柄で華奢で、バストアップの写真を見ると睫毛が長く目が大きく艶やかな唇で、10人中10人が可愛いと言うだろう容姿である。
「キレイでしょ、この人」
志木の視線に気付いた仁美が、アップの写真を指さして言った。志木は見たまま正直な感想を口にする。
「すげえ可愛い人だな」
「鏑木唯子さん。ウチの部の伝説の先輩だよ。この時やったロミジュリのビデオが残ってるけど、すんごい演技上手なんだよー」
「ろみじゅり?」
「ロミオとジュリエット。でもって、こないだ衣装寄贈してくれたのがこの先輩」
「へえ〜。今は? 女優さん?」
「それが違うんだよね、不思議なことに」
これだけ整った容姿で演技も上手かったのなら引く手数多だったろうが、演劇の世界はアイドルのようにスカウトなどはないものなのだろうか。
少し考えてみたが、本人に何か事情があったのかもしれないし、演劇自体全くわからない世界なので、わからないままにしておくことにする。
「高田は? 演劇続けんの?」
「うん。高校卒業したらあちこちオーディション受けて修行して、将来的には中嶋と真理と劇団つくろうと思ってんの」
「…すげーな」
はっきりと先のことを語る仁美に、志木は感嘆した。
就職組の中には、未だ就職先どころかやりたいことも定まっていない者が何人もいる。志木もまだ、就職先は決まっていない。
「社会的にはしばらくはフリーターなんだけどね。でも好きなことだから、やるだけやってみようかなって。やる気はこの通りだから、あとは気合いと根性」
仁美は照れ笑いを浮かべて、スポ根じみたセリフとともに志木の背を叩いた。
「高田は2年生の頃からそう言っていたぞ」
バイト帰りに寄った喜多見の家で昼間聞いた仁美の進路の話をすると、喜多見は頷いてそう答えた。担任だった2年時に、すでに仁美から告げられていたようだ。
「そんだけ強くやりたい事があるってすげえよな」
志木は感嘆のため息を洩らし、すでにシャツを羽織っている喜多見の体を後ろから抱きしめた。
十数分前までの熱さをとどめない涼しげな肩口に顔を埋めた志木の頭を、喜多見の手のひらがくしゃくしゃと撫でる。
「いくつで見つかるかなんて人それぞれだ。焦る必要はない」
「……そういうとこ、あんたらしいよな…」
決して急かさない。なんの理由もなく全く考えようとしていなければ厳しい対応をするが、漠然とでも思うところがあればそれを尊重してくれて、望めば助言や助力をくれる。
いまだ就職の決まっていない志木に一切口を出してこないのも、志木なりに思うところがあるのを察してくれているからだ。
「…なあ…」
「ん?」
「もう1回…」
抱きしめているうちに、それ以上の事がしたくなった。
だが、ボタンの閉められていない襟元へと這わせた手は、容赦なく叩き落とされる。
「あと1週間は文化祭の準備とバイトで忙しいんだろう? 家に帰ってしっかり睡眠取りなさい」
「あんたが欲しくて眠れない」
「1回抜けばいいだろう」
「……出来ねえってわかってて言うんだもんな…」
志木は嘆息して喜多見から手を離した。
3LDKのマンションに家族5人で暮らしているので、志木は弟と同じ部屋を使っている。志木の図体では狭くて寝られず今は物置と化している2段ベッドで仕切ってはあるが、互いの領域に面しているところは布切れ1枚で塞いであるだけなので、音も明かりも容易に漏れる。
そんな環境でそうそうマスターベーションなど出来ない。それは、志木の家に来たことはなくても話には聞いている喜多見にならわかっているはずだ。
ふてくされて黙り込んだ志木に追い打ちをかけるように衣類が飛んできた。こうなっては、喜多見が折れてくれることはまずない。
志木は渋々ながら衣服を身に着け、やって来た時と同じ姿で立ち上がった。すっかりいつも通りの喜多見も、志木に続いて廊下へ出る。
黙々と玄関へ向かい、黙々と靴を履いて、三和土の上と下とで向き合った。
「――じゃ…」
「…志木」
ふいに、見上げた志木の頭を喜多見が抱き寄せた。
「明日またおいで。土曜日だから泊まっていってもいいぞ」
この頃、時々なら泊まらせてくれるようになった。もちろん度を超せば叱られるし駄目な時は駄目だとはっきり言うが、日曜に出勤がないとわかっていれば土曜の夜は志木に付き合ってくれる。
喜多見に身も心も把握されきってしまっている志木は、容赦ないムチと甘いアメに簡単に翻弄されてしまう。
悔しくもあり不甲斐なくもあるが、アメの威力は絶大で、どんなにつれなくされても甘やかされるとつい嬉しくて浮かれてしまうのだ。まったく単純きわまりない。
――俺、マゾっ気あんのかなぁ……
わかっているのに懲りずに繰り返してしまうムチを食らうような自分の言動を思い出して苦笑し、志木は喜多見の体を抱き返した。
「…おでん食いたい」
アメの甘さに便乗して、肩口に頬を擦り付けてねだってみる。すると、
「わかった」
喜多見は二つ返事で応じて、あやすように志木の背を撫でた。
口調と手のひらの優しさに導かれるように、顔を上げて唇を寄せる。しかし、優しかったのはそれだけでやはり辛口だった喜多見に先手を打たれた。
「おやすみ」
志木の左まぶたに触れて離れた唇に僅かに笑みを乗せ、喜多見が告げた。
喜多見にサドっ気があるのだから、自分がマゾでちょうどいいのかもしれない――志木は、胸の内でそう結論づけて喜多見の家を後にした。
溜まり溜まった鬱屈を発散するかのように――少なくとも3年生にとっては――祭りはハイテンションで始まった。
期間は金曜と土曜の二日間。毎年、学校外からの客が増える土曜日のほうがより盛り上がる。
今年も例に洩れず、賑やかな土曜日を迎えた。
「志木ー! 氷が足りなーい!」
「また俺ぇ?」
クラスメートの声に、志木は眉を寄せて振り向いた。
志木のクラスの喫茶店は予想以上に繁盛して、レンタルした製氷器では氷が間に合わず、志木は今日だけでもう3度も学校と近くのコンビニエンスストアとを往復していた。
繁盛の理由は、あえて奇を衒わず、メニューもコーヒー・紅茶を中心にホームメイドクッキーやアフタヌーンティーとクラシカルに徹していることにあるようだ。そして、女子はメイド服、男子はギャルソンルックで揃えているのも受けている一因のようだった。
味の評判もなかなかいい。クラスに料理クラブの部員と演劇部の衣装担当がいたので、中身と外見のバランスをそれなりに保っている。
志木も他のクラスメートと同じく黒いベストとネクタイに腰エプロンなのだが、度重なる買い出しでネクタイは緩められ、袖は捲られ、上げられた前髪も落ちてきて、クラシカルさはすっかり吹っ飛んでしまった。
「いちばん体力あっていちばん足が速いのはおまえなんだから、適材適所ってヤツじゃん?」
トレイを片手に岸田が志木の肩を叩く。
足なら岸田も早い方だが、レストランでウエイターのアルバイトをしている岸田は重要な戦力なので、場を仕切っている料理部員も買い出しに使おうとはしない。
「…わあったよ。氷どんくらいいるんだ?」
志木は観念して前髪をかき上げた。
氷とともに、午後には足りなくなりそうな小麦粉や牛乳も頼まれて、志木は教室を出た。
進学を予定している中学生や、家族や友達が在籍していない近隣の住人も多数やって来るので、大層な人出になっている。
だが4度目ともなれば慣れたもので、人の隙間を巧みにすり抜け、最短距離を最短時間で志木は戻って来た。
その帰路、視界の隅に不穏な光景を捉えた。私服の女が1人、制服姿の3人の男に囲まれている。制服はこの学校のものではなく、別の高校のものだ。
少し距離があるので会話までは聞こえないが、ニヤニヤと笑っている男達に対して、女が嫌がっているのは明らかだった。
見てしまった以上は放っておけない。志木は大股で彼らに近寄った。
「だーかーらー、ツレがいるって嘘なんでしょ〜?」
「嘘じゃないわよ」
「ホントはいねえんだろ? いーじゃん、お茶しよーよ」
「お断りしますって何度も言って……」
「いーからいーから、一緒に遊ぼうぜ」
「や――」
男の1人が、女へと手を伸ばす。
その手を、横合いから伸びた志木の手が掴み、背後に捻り上げた。
「俺のツレに何か?」
志木は断片的に聞き取れた会話から、そう鎌をかけた。
女が志木に向かって足を踏み出すと同時に、掴んでいた男の手を離して軽く押し出す。男と入れ替わるようにして、志木の胸元に女が飛び込んだ。
腕にすがった女を庇うように半身で立って男達と対峙する。
見るからに軟派な男達より背が高く体格も良い上に、上げられた前髪や着崩して見えるギャルソン服が志木の見た目を大人びて見せていたからか、1対3だというのに男達は少々怯んだ。
「何か用でも?」
男達が何か口にするより先に、志木が畳み掛ける。
喧嘩腰ではなくあくまで平静なその態度に、男達は口の中でもごもごと呟き、曖昧な言い訳を残してその場から立ち去った。
騒ぎになると面倒なのは他校生でも同じことだ。ここでケンカをする度胸はなかったらしい。
「――大丈夫ですか?」
男達が視界から消えてから軽く息をついて、志木は傍らの女に問い掛けた。
「ええ、平気。どうもありがとう」
150センチ台前半だろう小柄な女は、顔を上げて志木を見て微笑んだ。
向けられたその容貌のあまりの美少女ぶりに志木は瞠目する。
瞳が大きく、睫毛が長い。控えめなピンク色の形の良い唇はしっとりと濡れ輝き、いかにも柔らかそうだ。サイドを後頭部でまとめた長い髪が、顔を傾げるとともに肩から滑り落ちてさらりと揺れる。
この学校どころか、近隣でも滅多に見ない可愛らしさだった。
しかし志木は、彼女を見たことがあった。つい最近のことだ。これだけ目立つ容貌を、忘れるはずがない。
果たして、すぐに記憶は蘇った。
「かぶらぎ…ゆいこ、さん?」
記憶にある名を口にしてみると、彼女は見張った目を瞬いた。
「どうして知ってるの?」
「先週、演劇部の奴にアルバム見せてもらって――でも…え……っ」
たしか仁美は10年前のアルバムだと言った。目の前の彼女はどう見ても志木と同年代にしか見えず、アルバムの写真ともさして変わっていないように思える。だが、10年前に演劇部に在籍していたのなら確実に志木より10歳は年上だ。
見えない。全く見えない。
続く言葉を飲み込んだ志木に、彼女はにっこりと笑った。
「君のクラスは喫茶店か何かなの?」
「え、ああ、そうっすよ。特別凝ったことはしてないんすけど」
同じく飲食店をやっているクラスはあるが、男子生徒が女装して接客する甘味屋やら、シチュエーションに凝ったお好み焼き屋やら、アトラクションめいた焼きそば屋など、趣向は多種多様だ。
行事となるととかく盛り上がる傾向にあるこの学校の文化祭は毎年、まともな飲食店をやろうというクラスが何故かほとんどない。
「これから戻るところ?」
志木の手にしたビニール袋を見下ろして尋ねる。
「ハイ、買い出しなんで――鏑木先輩、1人ですか?」
「え? ううん、連れがいるんだけど、お互い別件で用事があったから用事を済ませて落ち合おうってことになってて…」
「あの――うちの店に来ませんか?」
「君のところに?」
「や、あの、ナンパじゃないっすよ? ツレがいるなら一緒に動いた方がいいんじゃないかなって。とりあえずうちのクラスまでは俺がいますから」
志木が懸念しているのは先ほどの男達のことだ。
ぶちのめしたわけでも脅したわけでもないので、あのまま帰りはしなかったろう。ああいう手合いは同じことを繰り返して回るだろうし、彼ら以外にもナンパに勤しんでいる奴らはいるだろう。
志木の言わんとしていることを理解したのか、唯子は微笑んで頷いた。
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えついでにひとつお願いしてもいい?」
「なんすか?」
歩き出しながら訊ねた志木の腕に、唯子は自分の手を絡めた。
「え…っえ?」
「君の店まで。これなら文句なく連れっぽいでしょ?」
悪戯っぽく微笑んだ彼女は、ノーと言わせない雰囲気を持っている。美貌で男を言いなりにさせるという鋭さはない。むしろ印象はほんわりとしているのだが、言葉と態度に妙に説得力があるのだ。
おかげで志木は、手を振り解く機会を逸してしまった。
きちんと付き合ったと言えるのは喜多見が初めてで、それも人前で手さえ繋いだことがない。ましてや腕を組んで歩くなど未体験で、その相手が絶世の――年齢的には“美女”だが見た目は美少女――ときては、何をどうしていいのかわからない。
とりあえず、会話に逃げることにする。
「鏑木さんのツレって、友達ですか?」
「恋人」
「恋人ならマズくないですか、こんな――」
「大丈夫。ちゃんと説明聞いてくれる人だから」
すれ違う人の視線がいちいち向けられるのがわかる。唯子が目を引いているのだ。
小柄だが、ミニスカートから伸びるショートブーツを履いた脚は細すぎず太すぎず、頭身のバランスもいい。加えて顔は文句なく可愛いのだから、惹きつけられるのももっともだ。
そして、志木のクラスまで辿り着いた2人は、小さなどよめきに迎えられた。
部屋の奥の空いている席に唯子を案内して室内を仕切っているパーテーションの向こうの厨房側に入った志木を、その場にいたクラスメートが取り囲んだ。
「志木! おっまえいつのまにあんな可愛い彼女つくったんだよ!」
「マジ? マジで志木の彼女なワケ?」
「志木が彼女連れで校内歩く日が来るなんて……」
様々な反応に囲まれて、数秒志木はぽかんと立ち尽くした。
だがすぐに我に返り、誤解だらけの発言に首を振る。唯子の顔を知っているだろう演劇部員は今の時間1人もこの部屋にはいないので、自分で弁解するしかない。
「彼女じゃねえよ」
「腕組んでたじゃん」
「照れんなよ〜」
「だから違うって! タチの悪いナンパされて困ってたとこを助けただけだっつーの」
「腕まで組んどいてえ?」
「わかった。助けといて便乗ナンパしたんだな?」
「腕組んでたのはナンパ避け。お茶飲みながら彼氏を待つって言うから連れてきただけだよ」
あっさりとよどみなく告げた志木に、周囲の連中は揃って肩を落とした。
「なんだよ〜フリーじゃないのかー!」
「…なーんだ彼女じゃないのかぁ……」
「だよなー。志木の彼女にしとくにはもったいない美人だもんな」
「考えてみりゃ志木があんな美人をゲットできるワケないか」
周囲の面々は、拍子抜けした表情で口々に勝手なことを口にした。
「どさくさに紛れて失礼なこと言ってんじゃねえよ、岸田。誰か注文取って来てくれよ。川端、ほら氷」
志木は呆れ顔で最後のひと言を放った岸田を小突き、厨房を仕切っている料理部員に買い出して来た品を手渡した。
我こそと出て行こうとするギャルソン達を抑え、メイドが注文を取りに向かう。
これまで女っ気のなかった志木が女連れで腕を組んでやって来れば驚かれるのもわかるが、好き勝手なことを言ってくれる。
この手の噂の広まりは早いが、校内で志木と唯子を見掛けた誰かの口から噂になったりもするのだろうか。そうなったら、喜多見の耳にも入る可能性もある。
これくらいで妬くような人ではないが、早めに言い訳しておこうと志木は思った。
ひと息ついてからネクタイと袖を直していると、唯子の頼んだ紅茶が淹れ上がった。またもギャルソン達の奪い合いになったが、埒が明かないので志木自らそれをかっさらいトレイに乗せてフロアに出た。
「お待たせしました」
恋人にメールで連絡を入れたのか、ちょうど携帯電話を畳んだところだった唯子は、志木に向かって微笑みかけた。
背後から、野郎どもの痛いほどの視線を感じる。
「ホットのダージリンティーです」
カップをセットして、ティーポットから注ぎ入れる。この手順になかなか慣れなかったが、2日目にしてなんとか様になって来た。
「文化祭でここまでするなんてすごいわね」
「俺はこういうの詳しくないんすけど、そうみたいっすね」
「…やっぱり君が志木くんだったんだね」
「え?」
頭を下げて引き返そうとした志木は、脈絡なく放たれた唯子の言葉に下げかけた頭を戻した。
唯子は志木に構わずティーカップを手にする。ひと口飲んだ唯子の唇に微笑が浮かんだ。
「――ん、美味しい」
「あの…?」
なぜ志木の名を知っていたのだろうか。志木は1週間前に演劇部のアルバムを見て初めて唯子を知ったのだ。
困惑顔の志木に、唯子が笑ってみせる。
「ある人から聞いてたの。もうすぐここに来るわよ」
演劇部のOGだというから、部の誰かに聞いていたのだろうか。とすると、演劇部の誰かが来るということか。
志木が首を捻ると、唯子がドアを指し示した。
「――ほら、来た」
同時に本日2度目の小さなどよめきが上がる。
室内の女の視線を一身に集めたその人物は、唯子の姿を認めるなり柔らかく微笑んだ。
そして、颯爽と部屋を横切って真っ直ぐに奥の席に座っていた唯子の元まで来て、初めて志木を見た。
「よう、わんころ」
その人は、形のよい唇に笑いを浮かべてそう言った。
−続−
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