『Give me something nice and sweet.』


『来週の月曜の夜、あんたんちに行くから』
 いつものように、予定を訊ねもせず柴崎は言った。
 前もって連絡を寄越すだけいいのかもしれないが、たいていは2〜3日前に、急な時は前日に連絡してくることもある。
 独立して個人でウェブ関連の仕事を始め、自宅を仕事場にしている中嶋だったが、外出しないわけではない。仕事の打ち合わせに出向くこともあれば、買い物に出ることだってある。
 それなのに柴崎は、どうしても外せない用事のある日には不思議と来るとは言わなかった。
 すべて読まれている気がして悔しいが、そんなところも憎からず思っているのだから、我ながら趣味がよくない。
『御馳走用意して待ってろよな』
「ごちそう?」
 中嶋はマウスを操る手を止め、右肩と顎で挟んでいた子機を手に取って左耳に当て変えた。
『ああ、電車来た。じゃ、そういうことだから』
「そういうことって、おい!?」
 中嶋は一方的な柴崎の物言いに声を大きくしたが、電話はそのままあっけなく切れてしまった。
「……の野郎……」
 中嶋は低く唸って子機を振り上げたが、ワイヤレスの子機なのでドラマのように受話器を電話機本体に叩き付けられるわけもなく、振り上げた姿勢のまましばし固まって、それからゆっくりと腕を下ろした。
「何かあったかな……」
 営業職でトラブルも間々あるはずだが、中嶋よりふたつ年下の柴崎は決して泣き言は言わず弱音も愚痴も吐かない。
 だが、精神的にきつい時は中嶋に会いに来る。それでもあまり甘えたりはせずにただ一緒に過ごすだけなのだが、柴崎にはそれで充分らしい。
 そういう時は、せめて気が紛れるきっかけになればと食事を用意する。
 日頃からまめに料理をするわけではないが作れないわけでもないので、作り込もうと決めると凝り性気質がむくむくと目を覚まし、つい手の込んだものに挑戦したくなる。中には成功とは言えないものも含まれることもあるそんな料理の数々を、柴崎は必ず残さず食べてくれた。
 強引な男だが、やさしい男でもあるのだ。
 つらつらとメニューまで考え始めていた自分に気付き、中嶋は慌ててかぶりを振った。
 来週のことなら週末に考えればいい。まずは、納期まで3日に迫った目の前のこの仕事を片付けなければ。
 中嶋は手に持ったままだった子機をいつもの場所に戻し、再びマウスに手を伸ばした。


「オレはどうしてこんなことをしてるんだ……」
 何とかスケジュール通り仕事をこなし、月曜の午前中から買い出しに出かけた中嶋は、眠い目をこすりつつレシピ本を片手に下拵えをした料理の仕上げをしながら1人ごちた。
 いつもなら10時過ぎまで寝ているというのに、何故言われるまま料理をしているのだろうか。
 惚れた弱みといえばそれまでだが、いいように仕向けられている気がしないでもない。
 だいたい、もう少し甘えてくれればいいのだ。辛いなら辛いと、淋しいなら淋しいと素直に言ってくれれば、いくらでもやさしくしてやるのに。
「……いくらでもって――」
 カボチャ、ズッキーニ、赤パプリカ、ベーコンをひと口大に切って耐熱容器に入れチーズを乗せたものをオーブンに入れながら、自分の独白に自分でツッコミを入れて中嶋は顔を赤らめた。
 その刹那、背後から声が飛んだ。
「いい匂いだな」
「柴崎」
「鍵開いてたぞ。お、伊勢海老――って、ずいぶん豪勢だな」
 酒の瓶が入っているらしいビニール袋を下げてやってきた柴崎が、パスタの仕上げ用にシンクの脇に準備しておいた海老の頭を発見して驚いた声を上げた。
「安かったんだよ。それに御馳走用意して待ってろって言ったのはおまえだろ」
 中嶋はぶっきらぼうに答えて水を満たした鍋をコンロに置く。
「言っとくけどデリで済ませたのもあるからな」
「中嶋さん? なに怒ってんの?」
「別に」
「――ため込むのはよくないぞ?」
「そっちこそ」
「俺? 俺は別になんもねえよ」
「じゃあどうして御馳走用意しとけなんて言ったんだ」
「どうしてって――」
 中嶋の問いに、柴崎は怪訝そうに眉を寄せ、続いて眉間に皺を刻んだ。
「……あんたもしかして、俺がワケもなくあんなこと言ったと思ってんのか?」
「そのワケとやらをちゃんと話してくれと言ってるんだ」
 意を決して視線を合わせ強く訴えた中嶋に、柴崎はしばし微妙な表情を浮かべて押し黙ったが、やがて深いため息を吐いて俯いた。
「――そうか、きれいさっぱり忘れてるわけか」
「は?」
「誕生日」
「え?」
「今日、俺の誕生日」
「――――あっ!」
 たっぷり数秒をかけて脳に達した柴崎のひと言に、中嶋は大きな声を上げた。
 そんな中嶋に、柴崎は腕を組んで呆れたような視線を送る。
「別にそれほど記念日とかイベントとかにはこだわらないけどさ、来年はちゃんと祝おうって言ったのはあんただぜ?」
「……う……」
 たしかに自分はそう言った。
 いまさらだが思い出した。付き合いだしてから2年連続都合がつかず、昨年は柴崎の出張も重なって、その前後半月ほども会えなかったのだ。
「俺、あんたにそれほど大事に思われてないんだな」
「そっそんなことは――」
「自分で言い出したことまで忘れといて?」
「ぐっ……」
 怒るよりも淋しげな柴崎に、中嶋はひどく焦った。
 今年はもう過ぎた中嶋の誕生日にはプレゼントをもらっていた。それなのに柴崎の誕生日はすっかり忘れていたとは、言い訳のしようもなかった。全面的に中嶋が悪い。
「ごっごめん!」
「……」
「すいません! ごめんなさい! オレが悪かった!」
 両手をあわせて拝むようにして、中嶋は頭を下げた。
「なんでもするから――」
「――なんでも?」
「な――なん、でも……」
 口に出してからしまったと思ったが、もう遅い。
 そろそろと視線を上げると、柴崎は沈んだ顔を一変させてにやりと笑った。
 やさしい男だが、強引な男でもあるのだ。そして、意地も悪い。
「な、なに考えてる――」
「なんでもしてくれるんだろ?」
 中嶋の手を取った柴崎は、中嶋を強引にソファに座らせてその隣に腰をおろすと、自分のネクタイに手をかけてゆるめ出した。
「なにしてもらおうか? 裸エプロンとかしてみる?」
「ば…ッ誰がするか!」
 三十路近い男の裸エプロンなど見たくもないし、それ以上にやりたくない。
 中嶋はエプロンの裾をめくる柴崎の手をはたき、ソファの上を後退りながらぶるぶると首を横に振った。
「なんでもするって言ったろ」
「言ったけど」
「いいじゃん、ハロウィンプレイ。今日、10月31日だし。Trick or treat?」
「? 菓子はないけどメシなら用意して――」
「不正解。この場合、正しく訳すと“いたずらされたい? いやなら接待して”」
「……それ、もしかしてどっちもすることは同じなんじゃないのか?」
 この状況で、“接待”が単なる飲み食いのことだという可愛らしくうぶな思考が出来るほど、中嶋も柴崎も若くはない。
「あんたに頑張ってもらうか、オレが頑張るかの違いがあると思うけど?」
「柴崎!」
「頑張るのは嫌か? じゃあ“いたずら”ってことで。――ありがたくいただきます」
「コラ―――ッ!!!」
 本当にありがたそうに手を合わせてのしかかってきた柴崎の肩を押し返した中嶋だったが、それで逃げられるはずもなかった。

 数分後、オーブンに入れておいたカボチャが甘く香ばしい匂いを放ち始めたが、それがオーブンの外に出たのはそれから2時間後のことだった。

−終−


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