其の二『饒舌ナ指先』


 二月に入り、ずいぶんと寒さが和らぎつつあった。
 だが、生来寒がりな慎之介にはまだまだ堪える寒さであり、朝に夕に寒い寒いと愚痴をこぼすのが常である。
 しかしこのひと月あまり、その手の言葉は数える程しか放たれていない。今夜も寒さは厳しいが、慎之介は寒いとは一度も口にしなかった。
 何故なら、寒さを緩和するものがあるからだ。
 夜具の上に座った慎之介はそれに触れ、口の端に笑みを浮かべた。
 あたたかい。
 それは慎之介の膝を立てた両足と双腕の間に収められ、慎之介の為すがままでいたが、やがて泣きそうな目で振り返った。
「辛いか?」
 問い掛けると、それは勢い良く首を振った。口がきけないぶん、感情表現はいつも一生懸命だ。
「清太」
 名を呼んで、優しく頭を撫でてやる。
 頭から耳、耳から頬へと手指を移動させると、清太は慎之介の胸に背中を預けて気持ち良さそうに瞼を伏せた。
「……清太」
 もう一度名を呼び、今度は下肢に手を伸ばした。
 中心で反応を顕にしていたものをやんわりと握られ、清太の顔が耳まで赤く染まる。ゆるやかに閉じられていた瞼はぎゅっと固く瞑られ、行き場のない手が慎之介の着物の膝のあたりを握り締めた。
 何度抱いても変わらない初々しい反応に、慎之介は楽しげに微笑んだ。
 片手で清太のものを弄びながら、もはや辛うじて引っ掛かっているといった状態の着物を強引にはぎ取る。晒された肩に軽く歯を立てると、その刺激に清太の体がびくりと跳ね、手の中の男茎が硬度を増した。
 慎之介様――清太の震える唇が、そう動いた。
 声はなくとも、清太の言いたいことは全てわかる。
――慎之介様。
 もう一度そう呼ばわり、慎之介の顎にこめかみを擦り付けるようにして見つめてきた清太の瞳は、涙に濡れていた。
 しとどに先走りを溢れさせ慎之介の手指を濡らすものをやさしく撫でさすりながら、凛と張り詰めた冷たい夜気に融けるようにこぼれ出す熱い吐息を掬い取るがごとく口付ける。
 されるがままの清太が、差し入れられた無遠慮な舌に怖々と己の舌で触れたのを合図に、慎之介は腕の中の清太の体の向きを変えさせて仰向けに押し倒し、清太の足を広げて両脇に抱えた。
 そして、まだそれほど慣らしていない清太の後孔に己のものをあてがい、強引に突き入れる。
 悲鳴の代わりに鋭く息を飲む音が耳に届いたが、慎之介は構わず腰を進めた。
 羽織ったままの慎之介の着物の袖を清太が掴む。その手を無理矢理ほどいて首に導くと、縋るようにしがみついてきた。
 上気した体を抱き返し、密着した状態で二度三度と突き上げる。
 耳元での喘ぐような呼吸音が慎之介を駆り立て、律動を早めていく。
 寒さなど感じなかった。
 腕の中の体の熱さ、そして慎之介のものを包む清太の中の熱さが、慎之介にも熱を伝播させる。
――慎之介様……ッ
 耳朶に触れていた清太の唇が動いた。
 見なくても解った。



「慎之介ッ!」
 三味線を抱え濃紫の着物に身を包みふらりと訪ねてきた小蝶が、庭先にまわってくるなり叱咤するような声を上げた。
「アンタという男は……」
 怒りを堪えて深いため息を吐く姿に、縁側で寝転がっていた慎之介が片眉をつり上げる。
「突然庭に入り込んで来た奴にそんな風に言われる筋合いはねェぞ」
「大抵この時間はここで転がっているんだから、表から清太を呼ぶより早いじゃァないの。アンタ一人だったら居留守使って出て来やしないんだし」
 憮然として言い返した小蝶はつかつかと歩み寄り、三味線と共に抱えていた包みを縁側に置いた。
「言い分はわかったが、なんで怒鳴り付けられなきゃなんねぇんだ?」
「アンタのために毎日忙しく立ち働いている清太を枕にしてだらだらしているからに決まっているでしょう!」
「そんなにキィキィ騒ぐこたァねえだろう。ウチァこれで円満なんだ。何の問題もねぇよ」
 清太の膝枕で慎之介が嘯いた。
 たしかに見たところ清太は嫌そうにはしていない。しかし小蝶は、慎之介の性格を厭というほど知っている。
「清太、大丈夫? 無理していない?」
 小蝶は慎之介を無視して清太に問いかけた。
 清太は返事の代わりににっこりと笑みを浮かべた。その表情は嬉しそうですらあって、無理をしている風では全くない。
 だが小蝶は納得いかないようで、心配そうに清太の顔を見つめている。
 そんな小蝶に、慎之介が不機嫌そうに唇を尖らせた。
「なんだそりゃァ、人聞きの悪い。それじゃァ俺が清太に無理させているみてぇじゃねえか」
「させているじゃないの」
「このアマ……ッ」
 にべもない小蝶に、慎之介が身を起こす。
 一触即発、睨み合う2人のそばで彼らを交互に見遣った清太は、
――慎之介様
 と、主人の袖を引いた。
 そろそろ夕飯の仕度をしようと思うのですが。
 そう書き付けた紙片を遠慮がちに差し出して、慎之介の目をじっと見つめる。
「そうだな。今日は冷える。体が温まるもんにしてもらおうか」
――はい。
 慎之介の返事に笑顔で頷いて、清太は縁側を後にした。
 その背が廊下の向こうに消えるまで見送って、小蝶は慎之介の襟に手を伸ばした。
「何すンだよ!」
 胸倉を引っ掴まれて、慎之介が気色ばむ。
「それはこっちの科白だよ、この唐変木!」
 小声ではあるが威勢のいい啖呵を叩き付けて、小蝶は慎之介に顔を近づけた。
「清太、顔色が悪いじゃないの。あれで無理させてないって言えるの?」
「顔色?」
「気付いていないの? あの子、もっと血色良かったでしょう」
「そうか?」
「そうよ」
 渋面で首を傾げる慎之介の胸から、小蝶は苛立たしげに手を離した。
 慎之介が首を傾げる。
 と。
 裏庭の方から、水音と何かが崩れて倒れる音が響いた。
 小蝶ははっとして裏庭の方向を見遣り、慎之介をおいて駆けていく。慎之介も裸足のまま縁側から飛び降り、小蝶の後へ続いた。
 ――裏庭。井戸の前。
 いくつかの用具と桶が地に転がり、桶のそば近くの地面は水に濡れている。
 そこに、清太の大柄な体が倒れ伏していた。
「清太!」
 襦袢も露わに小蝶が走り寄る。
 倒れた清太は、青白い顔をしていた。
「清太! 清太、しっかり!」
 着物が汚れるのも頓着せず地面に膝をついた小蝶が、華奢な掌で清太の濡れた頬を叩く。清太は身動ぎしたが、瞼を薄く開けただけで、起きあがることが出来ない。
「清太」
 遅れてやってきて、小蝶のとなりに片膝をついた慎之介が呼びかけた。
 その声でやっと清太は身を起こしたが、すぐに体は傾いで、慎之介の胸元へ蹌踉めいた。
「動くな」
 慎之介はそれだけ云って、清太の片手を己の首にかけ、その脇の下から背中へ、そして膝の後ろへと腕を回す。
「慎之介! 無茶よ!」
 痩身の慎之介よりも幅も丈もある清太の体を抱えられるとは思えず、小蝶は慎之介を制止した。
 しかし慎之介は、両腕と両足に力を込め、すっくと立ち上がった。
「部屋に運ぶぐらいは出来らァな。おまえは医者ァ読んでこい、佐和」
 言い捨てて、慎之介は清太を抱えて裏庭を後にした。


 敷きっぱなしだった己の布団に清太を横たえたところへ、水を張った盥と手拭いを持った小蝶が現れた。
「なんでェ? 医者はどうした?」
 訝しげに慎之介は訊いたが、小蝶は答えず、清太の枕頭に膝をつくと、手拭いで清太の顔や手を拭いだした。
「このままじゃァ風邪を引くわ。着替えはないの?」
 てきぱきと指図する小蝶に逆らえず、慎之介は清太の部屋から浴衣を探し出してきて、すでに清太を下帯ひとつにして体を拭い終えていた小蝶に差し出した。
 小蝶は慎之介に手伝わせ、清太に浴衣を着せると、手拭いを濡らして固く絞ったものを清太の額に乗せて、深いため息をついた。
「佐和?」
「……ちょっと来て、慎之介」
 小蝶は立ち上がり、隣室へと慎之介を誘った。
「どうした? 怖い顔をして」
「どうしたもこうしたも―――。アンタ、あれから毎日のように清太を抱いている?」
「……ひとを色惚けみたいに」
「色惚けでしょうが」
 はぐらかそうとした慎之介に、小蝶は容赦なく畳み掛ける。
「もしやと思ったけれど、アンタ莫迦?」
「なんだと?」
 心底呆れたと云った表情と声に、慎之介の眉間が険しく歪む。だが小蝶は怯む様子も見せず、毅然として言い返した。
「莫迦を莫迦といって何が悪いのよ。これまでも莫迦だ莫迦だと思っちゃァいたけど、ここまで莫迦だったなんてね」
「莫迦を連呼するな。なんだッてンだ、一体!」
 更に険しさを増した顔で、慎之介が云う。
 小蝶は、憐れむような、仕様もない子供に言い聞かせる母親のような、そんな顔をしてまたもやため息をつくと、慎之介を真っ直ぐ睨み付けた。
「あのね、慎之介。清太はアンタが、初めての男なのでしょう?」
「そうだろうな」
「それをアンタ、毎日毎日、清太が本気で抗わないのをいいことに、これまでさんざっぱら遊び尽くしてきたアンタの手練手管で抱き続けて、しかもアンタは昼間呑気に寝てりゃあいいけれど、あの子は朝早くから休みなく立ち働いているんだから、そりゃあ具合も悪くなるでしょうよ」
「見てきたように言うなァ。お前、覗いてたのか?」
「見なくたってアンタのやりそうなことくらい判ンのよッこのケダモノ!」
「……けだものぉ!?」
 あまりな言い様に、ついつい慎之介の声も荒くなる。
 その慎之介の口を、小蝶が慌てて手のひらで塞いだ。清太が起きると言われて、慎之介も続く言葉を渋々飲み込む。口はきけないが、そのぶん耳は良く気配にも聡いのだ。 
 慎之介にここで待つよう言い置いて、小蝶はどこからか小さな風呂敷包みを持ってきた。どうやら、縁側に置きっ放しだったらしい。
 そして小蝶は、包みを慎之介の胸に押し付けるようにして渡す。
「なんでェ、こりゃあ?」
「……あげるわ」
 少々躊躇いがちに告げて、小蝶は手を離した。
 怪訝そうな顔をした慎之介は、包みを四方八方から眺めてからそれを解きに掛かる。
 出てきたのは、『通和散』と書かれた袋だった。
「……お前、これ――まさか自分で買ってきたのか?」
「違うわよ! 私のお客さんに、芸者遊びが好きで色子も囲ってる旦那さんがいるの。その人が手に入れてくれたのよ」
 通和散は黄蜀葵の根を原料にしたもので、湯島天神下の伊勢七という薬種屋で販売しているものが極上とされる。男色用の湿り薬、いわゆる潤滑剤だ。
 小蝶の言うとおりさんざん遊び尽くしてきた慎之介だが、衆道とはこれまで縁がなかったのでいま貰ったこれは初めて目にした。だが、どういうものかは耳にしたことがある。
「これ。その旦那さんが使い方書いてくれたから」
「……」
「だ…だって、痛い思いするのは可哀想じゃないのよっ」
 貰った包みと新たに差し出された紙片とを見つめて黙り込む慎之介に、小蝶が珍しく声を詰まらせて弁解する。
 たしかにその通りだと慎之介は思った。
 このひと月、この手のものは何も用いていない。辛そうにしていても大丈夫だと笑うので、段々と慣れてきているのだろうと思っていたが、慣れるまでに痛みを軽減させる方法があるのなら使うべきだったかもしれない。
「とにかく! 遊びじゃないのならもっと大事にしなさい」
「しているさ」
「そうは見えないから言ってンのよ。泣かせたら承知しないからね!」
「……」
「……ちょいと……もう泣かせたんじゃないでしょうね…?」
 いつもは何かしら言い返してくる慎之介の今日何度めかの沈黙に、小蝶は低い声で尋ねる。
 慎之介はその恫喝のような問い掛けに、肩をすくめ苦笑を浮かべて見せた。
「――俺ァどうにもあいつが可愛くって仕方ねえみてえでさ。泣いてすがりつかれると、もっと泣かして俺だけしか見られねえようにしたくなるンだよ」
 悪びれた様子もなくしれっと口にした慎之介を、小蝶はぽかんとして見返した。
 そして、ひと足遅れて言葉の意味を解した小蝶の顔が、気恥ずかしさと怒りで真っ赤に染まる。
「……ッそういう意味じゃないわよこの色魔ー!」
 怒号が飛び、ぱしーん!という小気味よい音が屋敷中に響いた。


「おう、起きたか」
 木戸も閉まる頃になって、ようやく清太が目を覚ました。
 慎之介は手にしていた盆を下ろし、清太の額に載せた手ぬぐいを取り去って水を張った盥の中に放り投げると、手のひらを清太の首筋に当ててみる。
「……んー…熱はねえみてェだな。気分はどうだ?」
 顔を覗き込むようにして尋ねられて、清太はなんともないと頷いた。そして体を起こしにかかる。
 慎之介はその背を支えて座らせてやり、肩に綿入れを着せ掛ける。だが清太は、礼を述べる代わりに頭を下げてさらに立ち上がろうとした。慎之介はそれを許さず、まだ動くなと清太の額を指で押した。
 立ち上がりたくとも体が前に倒せないので立つことができない。しばらく額の指を力で押し返そうとしていた清太だが、やがてついに断念したのか力を抜いた。
「それでよし。今夜は大人しくしてろ」
――でも、洗濯物や夕餉の支度が……
「干してあった手拭いや何かは全部取り込んでおいた。戸締まりは済んでるし、飯もあるもんで適当に食ったよ。お前用に粥を炊いたんだが食えるか?」
 慎之介は盆を手前に引き寄せて、小さな土鍋の蓋を取った。出来たてらしく、白い湯気がふわりと空中に立ち上る。付け合わせには梅干しを叩いて味噌と和えたものが添えられていた。
「どうした?」
 盆の上を凝視したままの清太を振り返った慎之介が尋ねた。
――……慎之介様が料理をされたのを初めて見ました。
「そりゃァそうだな、初めて作った。佐和が書いていった手順通りにやってみたが、まずくはないと思うぞ」
 呆然とした風に返され、慎之介は苦笑した。
 たしかに料理などする気もなかったし、家のことはずっと清太に任せきりだった。何も出来ないと思われていても無理はなく、やれば出来るのだなと自分でも妙に感心したくらいだ。
――夕餉は何を召し上がられたのですか?
「湯豆腐と漬物。あとは干物があったから焼いて食ったぜ」
 この程度であれば出来上がりから行程は想像できる。
 汁物は味付けの加減がわからず面倒だったのでやめ、米は焦がしてしまいそうだったので炊かなかった。小蝶には粥の炊き方しか聞かなかったからだ。
「清太? 食欲ねえか?」
 俯いて土鍋を見つめたまま固まってしまった清太の顔を、慎之介は心配そうに覗き込んだ。
 体は丈夫な清太だが、感冒にかかったことくらいは一、二度ある。しかしその時でも、ものを食べられないほど弱ってしまったことはない。
 慎之介は添えておいた匙を手に取り、粥をひと掬いした。そしてふうふうと吹き冷まし、清太の口許に持っていく。
「少しでいいから食っておけ」
 ほれ、と促すように匙を動かすと、やっと清太が動いた。
 おずおずと匙に顔を近付け、差し出された粥を口に入れる。
――おいしい。
 清太は笑みを見せた。いつもの健やかで快活な笑みではなかったが、無理をして笑い不味いのに耐えて咀嚼している風ではない。
 そして慎之介から匙を受け取り、さっそくふた口めを掬う。
「そうか、美味いか。そりゃ良かった」
 元気がないのは倒れたせいなのだろう。やはり無理をさせすぎたのかもしれない。
 小蝶の言う通りだ。深更、あるいは明け方近くまで体を重ね、十分な休息と睡眠をとることなく毎日早朝から立ち働いていては、体調を崩すのも道理だろう。
 清太が寝坊をしたのは最初の1日だけで、それ以降は昼間寝ているのも見たことがない。
 人生でこれほど神妙になったことはない己を自覚しつつ、慎之介は清太の頭を労るように撫ぜた。


 清太の泣き顔は好きだが、なにも悲しませたり苦しませたいしたいわけではない。
 小蝶の言い分ももっともだと慎之介らしくもなく納得し、今夜は一人臥し所についた。
 このひと月、飲んで外泊した日以外のほとんどの夜に隣りにいたあたたかいものがない。
 久し振りに感じる夜気の冷たさに身震いした慎之介は、布団から出て行儀悪く火鉢の前に這って行き、灰の中の埋み火をおこした。
 あたたかくなるまでは少々かかる。それまで布団でもかぶっているかと夜具の方に引き返しかけたその時、部屋の前の廊下がこつこつと音を立てた。
「清太? どうした?」
 廊下を叩くのは、声を掛ける代わりの清太の合図なのだ。
「清太?」
 返事をしても入って来る気配がないので、慎之介は訝しげに問い掛ける。
 それでも障子が開かないので、腰を上げて手ずから開けてやると、縮こまるようにして廊下に正座していた清太がびくりと顔を上げた。
「こんな時間にどうした? そんな薄着でそんなところにいたら体に障るだろうが」
 一重を身にまとっただけの清太の肩に自分の丹前を着せかけながら、慎之介は清太を立ち上がらせてとりあえず部屋の中へと導いた。清太の部屋に連れて行こうかと思ったが、どこか様子がおかしい。
 火鉢の脇に座らせて、向かい合って腰を下ろすと、慎之介は俯いている清太の顔を覗き込んだ。
 昼間のように青ざめてはいないが、表情が硬い。緊張と不安が綯い交ぜになって浮かんでいる。
 せっかちな慎之介にしては珍しくじっと待っていると、やがて清太の唇が小さく「しんのすけさま」と動いた。
「おう。なんだ?」
 極力やさしく問い掛けると、やっと清太が顔を上げる。
 いまにも泣き出しそうな顔だった。
「おいおい、どうしたってンだよ。体が辛いのか?」
 こんな顔をされるとは思ってもいなかった慎之介は、慌てふためいて清太の両肩を掴んだ。清太は首を横に振り、揺れる眼差しを慎之介へと向ける。
――おれを嫌いになったんですか……?
「なんで俺がお前を嫌うんだ?」
 唐突に尋ねられて、慎之介は目を見張った。
――だって……今夜はおひとりでお休みになるって……。
「昼間ぶっ倒れた奴に無理はさせられんだろう?」
 そういう風に取られるとは思ってみなかった慎之介は、苦笑して清太の髪をくしゃくしゃと掻き回した。
 一晩手を出そうとしないだけでここまで思い詰めるとは、少々追いつめすぎたかなと、昼間の小蝶の忠告を思い出しつつ反省する。
 余すところなく全て自分のものだと刻みつけるために、毎夜のように手を出してしまった。日々発見があるのが楽しかった。
 だが、少々余裕がなさ過ぎた。もっとゆったりと時間を掛ければよかったのだ。
 そんな自戒を込めつつ、清太の頭を撫で続けた。
 ややあって、慎之介は驚きに目を見張った。
 清太がぼろぼろと泣き出したのだ。
 幼い頃からどんな時でもこうして撫でてやると落ち着いたので今回も大丈夫だろうと思っていたのに、一体何事かと清太の顔を覗き込む。
 慎之介と目が合った清太の顔が、くしゃくしゃと涙に歪んだ。
 そして訴える。
――捨てないでください。これからもお側においてください。
「ちょっと待て。なんでそうなるんだよ?」
 予想外の清太の言葉に、慎之介は呆れたように問い掛けた。
――……ご自分で奥向きのことが出来るならおれのことはいらないんじゃ…。
「そりゃお前が無理ならこの家にゃ俺しかいねからなァ。だからといって、毎日てめえで作る気はねえよ」
 初めての経験でそれなりに面白かったが、是非またやりたいとまでは思わなかった。それに、手軽な二八蕎麦から一膳飯屋まで食う場所には困らないので、自炊の必要もない。
 幸いといっていいのか、これまで慎之介は女と関係を切るのに揉めたことがほとんどない。良くも悪くも、さっぱりとした女が多かったからだ。
 それは慎之介の好みでもあって、妙に執着や勘繰りが過ぎ不安になる度に捨てないでくれと縋るような女は避けてきたのだ。
 だが、いま慎之介はまったく悪い気がしていない。それどころか、勝手に誤解して側に置いてくれと泣く清太が可愛くてたまらない。
「ばかやろう」
 慎之介はため息混じりに呟いて、清太の顔を両手で挟んで上向かせた。
 そうして、ゆっくりと諭すように話し掛ける。
「俺はな、お前以外の誰かが作る飯を毎日食う気はねえし、お前以外の誰かを傍に置く気もねえ」
 真顔で告げる慎之介に、清太が目をしばたたいた。睫毛に弾かれた大粒の涙がほろほろと零れて頬を伝い落ちる。
 だがその表情からは、先ほどまでの悲壮さが一掃されていた。
 涙に濡れた頬をあやすように柔く叩いて、慎之介は微笑む。
「捨てやァしねえよ」
 それを聞いて、清太の口許が緩んだ。
 涙を流しながら満面に嬉しげな笑みを浮かべた清太を、慎之介は抱き寄せる。
 自分でも驚くほどの優しい声が出たことが、なんとも気恥ずかしい。心なしか顔が熱いので、きっと赤くなっているだろう。
 そんなものを清太に見られたら、恥ずかしいどころかいたたまれなくなりそうだ。
 清太は抱き締められたまま身動ぎひとつしない。
 やがて、どうにか平静を取り戻した慎之介が清太を引き離してその顔を覗き込むと、またほろりと一粒涙が零れた。
「おいおい、いい加減に泣きやんでくれ。いつからそんなに泣き虫になった?」
 すみません――と慌てて顔を拭う清太の手を除け、慎之介は懐紙を柔らかくして涙と洟をぬぐってやる。
 ……参ったな。
 口には出さずに胸の内で呟いて、慎之介は再度清太を引き寄せた。
 まなじりの涙を舌先で舐めとり、眉間、鼻の頭、そして唇を軽く啄むと、清太の顔が真っ赤に染まった。
 そして、敷き延べてあった夜具の上へ二人して転がる。
 すまねえ、佐和。やっぱり俺ァケダモノかもしれねえや。
 自嘲の笑みを浮かべて小蝶に詫び、慎之介は腕の中の清太に深く口づけた。


 眠れぬほど寒かった部屋が、濃密な空気で満たされている。
 それは、乱れた呼吸と熱い吐息でつくられていた。
 涙目で見つめてくる清太に目だけで笑みを返し、慎之介は這わせていた舌を内腿から離して上体を起こした。
 風邪をひくからという理由で胸元と裾だけを寛げて着衣のままの清太が、堪えきれないといった様子で喉をひくつかせる。
 その拍子に、清太の後孔に差し挿れられていた慎之介の二本の指がきゅっと締め付けられた。
 小蝶から貰った散薬を唾液で溶いて塗り込めたそこは、とろとろとして濡れ光っている。
 およそ美味いものではなかったが、常より抵抗なく滑り込む指で解されて戸惑いながらも快感に涙ぐむ顔を見ていたら、味などどうでもよくなった。
 もっと泣かせて、すがりつかせたい。
 慎之介は清太の中で指先を腹の方に曲げ、内壁をこするようにして動かした。
 若鮎のようにビクンと跳ねた体がさらに上気し、舐められ弄られて勃ち上がったものの先端から新たな先走りが溢れ出る。
 二度三度と繰り返すと、大きく喘いだ清太が両手で顔を覆って隠してしまった。
「隠すなよ」
 唇より能弁な瞳が見えなくなる。
 慎之介は、空いている片手で清太の腕を軽く叩いた。
 叩かれた片腕だけをどかして潤んだ瞳を向けつつ、でも――と清太の唇が動く。
「なあ、俺とこういうことをするのは厭か?」
 率直に問い掛けると、上気した顔がさらに赤くなり、困ったように眉を寄せて目を伏せてしまった。
 しかし清太は、はっきりと首を横に振った。
 正直で素直な清太らしい反応だ。
「なら、全部見せな。――さあ、どうしてほしい?」
 指をそのままに清太の脇に手をつき、上から見下ろしつつ慎之介は尋ねた。
 清太はそろそろと顔から手を離したが、困ったように視線を逸らした。赤い顔と寄せられた眉で言いたいことは察したが、それはそれ、どうせなら本人から主張させたい。
 意地が悪いのは百も承知だ。
「清太?」
 肘をついてのし掛かるようにして顔を近付け、中をゆるく掻き回しながらやさしく問うと、ふと清太が腕を上げた。
 そして逸らしていた目を戻し、慎之介のつかれた肘から先を取って手のひらを唇に触れさせると、大きくひとつ、喘ぐようにため息をもらした。
 熱く湿った吐息と共に、触れている唇が何かを呟く。
 手のひらに隠れていて見えないが、「しんのすけさま」と動いた気がした。
 それから清太は慎之介の顔へと手を伸ばし、その手指は頬を掠め、顎を伝って、清太とは違い乱れてもいない着物に辿り着き、衿をきつく掴む。
 着物を脱がすわけでもなく、引き寄せるでもなく、ただ掴んだだけだった。
 しかし、衝動のまま伸ばしただけのように見えた指先は、僅かだが官能の色を醸し出し、慎之介を誘う。
 慎之介がそう思うだけかもしれないが、懸命に縋るように布地を掴んだ指先だけで、清太のもどかしさは十二分に伝わった。
――慎之介様…っ
 眦に涙をいっぱいに湛えた清太の唇が、今度ははっきりとそう動いた。
 どうしていいのかわからないというように揺れている瞳に笑みを返し、慎之介は清太の中から指を引き抜いた。
 そうして清太の額に、瞼に、睫毛の先に口づけを落としながら、すでに形を取りつつあった己の男茎を下帯の中から導き出す。
 膝に手を掛けると、躊躇いがちに怖ず怖ずと足が開かれ、慎之介は着物の裾だけを割って清太の脚の間に入り込んだ。
 片腕で清太の上体を抱え込むようにして密着し、いつもよりも丹念に解きほぐした菊座に先端を押し当てる。
 慎之介にしては念入りに慣らしたためか、入り口に残るとろみのせいか、抵抗の度合いは常よりない。
 だが、慎之介の着物の肩口を掴む清太の指は小刻みに震えている。
 視界の隅に入ったそれを見遣った慎之介は、震える指に唇を寄せ、ゆっくりと腰を進ませた。
 いつもの強引さがないせいか、清太は少し戸惑って見える。
 すぐにでも深く突き入れて揺すり上げたいのは山々だが、こうやってじわじわと高まっていくのもいいと慎之介は思った。
 もどかしさに泣き出すのもいいじゃあないか。
 当面の目標を定め、慎之介は薄く笑みを浮かべて清太の腰を抱き寄せる手に力を込めた。
 それと同時に、清太の指が掴む慎之介の着物の皺の深さが増し、熱い吐息が耳元を掠める。
 
 緊張でも恐れでも痛みでもなく、悦楽で震わせたい。
 指先が饒舌に、慎之介を求めるほどに。



「なあに? どうしてアンタが床について清太がぴんぴんしてるのよ?」
 土産の団子を携えて訪ねてきた小蝶が、部屋に通されるなり呆れたように言った。
 綿入れを着込み、布団の上で体を起こして傍らの火鉢に手を翳して暖を取っていた慎之介は、小蝶の問いに苦笑のみを返す。
 昨夜はついぞ着物を脱がなかった慎之介だが、最中は寒さなど感じなかったのに見事に風邪をひいた。
 一方清太は、これまでよりもゆっくりと慣らしつつ事を進めた上に一度だけにとどめて早めに眠りについたとはいえ、昨日倒れた人間とは思えないほど血色もよく元気だ。
 考えてみれば、受け身という慣れない行為をひと月あまりも続け、昨日までは変わらず立ち働いていたのだ。体力は慎之介以上にあるのだろう。
 これで心身ともに慣れてきたらと思うと少し怖い気がしないでもないが、そこはそれ、色事ならば願ったり叶ったりだ。
「……何にやにやしているのよ。アンタまさか――昨日あげたもの、もう使ったんじゃないでしょうね?」
「まさか。いくら俺でもそこまで鬼畜じゃねえよ」
 慎之介は何食わぬ顔で即答し、肩をすくめてみせた。それもそうねと小蝶はあっさりと納得したが、さすがの鋭さに冷や汗が出る。
 そこへ、廊下を叩く音が聞こえてきた。
「清太? どうした?」
 答えてやると、襖が開いて盆に茶と茶菓子を乗せた清太が現れた。清太はそれを小蝶の前へと並べる。
「あら、そんな構わなくていいのに」
「そうだぞ清……あだっ」
 遠慮を示した小蝶に乗じようとした慎之介の頬に、小蝶の掌底がまともに入った。
 慎之介は思わず打たれた頬を押さえ、昨日と同等の衝撃に耐える。
「馬鹿なこと言ったり嫌なことされたりしたらひっぱたいていいからね。私が許すわ」
――嫌なことなんて……
 情け容赦ない小蝶に、清太はぶるぶると首を振った。
「昨夜はよく眠れた? 体調はどう?」
――はい。もうすっかり。
 すぐさま答え、清太はにっこりと笑った。
 澱みないそれに、小蝶も眉間の険しさを和らげる。
 清太は嘘のつけない質なので答えに窮したりはにかんで視線を落としたりするのではないかと思っていた慎之介は、意外な思いで清太を見た。
 そうして答えに辿り着く。
 厭ではないと答えた。だから後ろめたさはなく、よく眠れたのも体調が回復したのも嘘ではないということか。
 まったく、単純明快でいい。
「ちょいと……今度は何よ?」
 思わず笑みを浮かべた慎之介を小蝶が訝しげに振り返った。清太も不思議そうに見ている。
「いや、別に?」
 慎之介は肩をすくめて否定し、そして破顔した。

−終−


其の三
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