Vol.4 強さの意味 (3)


「なんかあったのかな…?」
 古賀沢組の地下道場でひとり、格は呟いた。
 うだるような暑さの続く、夏の盛りの昼下がり。
 古賀沢の地下道場に通いはじめて10日が経っていた。氷上は少しでも時間が空くと連絡をくれるので、この10日で7日間、古賀沢に通っている。
 格の顔を覚えてくれた組員もずいぶん増えた。以前、佐伯が撃たれた現場に居合わせた宮川を始め、幾人かは気安く声を掛けてくれる。
 どうやら氷上が巧く言いくるめたらしく、格は“蒔麻と神之倉と氷上の共通の友人の息子で、蒔麻のお気に入り”と組事務所内で認知されていた。
 たしかに蒔麻らと東子は何度か飲んだこともあるらしく、格抜きで連絡を取り合うこともある。特に蒔麻と氷上は東子とよく会うという。東京に出たときは東子の勤める店に寄るのだそうだ。
 そんなわけで、神之倉と格の関係は何ひとつ疑われることなく――もっとも、露見したところで信じてもらえず一笑に付されそうだが――今日に至っている。
 いつものように道着に着替えた格は、広い道場でひとり準備運動をし、柔軟体操を始めた。
 先に地下に降りて待っていると、着替えて後から行くと言っていた氷上から、道場に備え付けてあった内線電話を通して少し待つようにと言われたのだ。
 連絡が来てから15分。電話か来客かわからないが、まだ氷上がやってくる気配はない。
 もともと体が固い方ではなかったが、初めて古賀沢の事務所に行った夜から風呂上がりにストレッチを始め、だいぶ柔らかくなったような気がする。座って開脚して上体を倒すと、10日前は顎までついて限界だったのが、胸までぺたりとついた。
「お〜柔らけぇなあ」
 不意に背後から声が聞こえ、格は振り向いた。
 気安い様子でぺたぺたと道場の床を歩いてくる、和服姿の小柄な老爺がひとり。
 その顔を見たことがある気がして、格は身を起こして記憶をたどった。そう昔のことではない。ここ数カ月以内に――
「…御、大……?」
「おう。覚えていてくれたかよ」
 鎌倉の御大――神宮寺成生は、格の前に胡座をかいてにっこりと笑った。
「一度だけ、それもほんの少しの時間しか会ってねえのに、よく覚えていたな」
「人の顔と名前を覚えるのはわりと得意なので」
「そりゃ得がたい才能だ。男は女より人の顔を覚えられねえもんだからな」
「そーなんですか?」
「そーなんですのよ」
 神宮寺の返事に格は頬を緩めた。とても関東ヤクザの重鎮とは思えなかった。雰囲気が柔らかい。
「御大はどうしてここに?」
 開いていた足を戻して格が尋ねると、神宮寺は芝居がかった仕草で嘆かわしそうに首を振った。
「口調が固〜い。タメ口でいいって、タメ口で」
「え…でも」
「わしの周りにゃ敬語で話しかけて来るヤツしかいねえのよ。だからさ」
「お友達も敬語なんですか? 家族とか――」
「年くってからも付き合いのあった親しい奴ァほとんど死んじまったからなあ。女房はいたがこれもおっ死んじまったし、子供はいなかったから孫もいねえ」
「……」
 見たところ元気なことこの上ないが、かなりの高齢だろう。親兄弟とも死に別れているのかもしれない。妻も子もなく、孫もなく、周りが“関東ヤクザの重鎮”として接してくる人間だけでは淋しかろう。
 格は、飄々と語る神宮寺の顔をじっと見つめた。
「いまさら権力も舎弟もいらんのよ。まァわしが神宮寺成生なのは変えらんねえからな、生きてる間は鎌倉の御大って呼ばれんのも仕方ねえけどよ、いい加減飽きてきたっつーか、変化がほしいっつーか」
 神宮寺は、腕を組んで大袈裟に嘆息した。
 求めているものは分かったが、ハイそうですかと簡単に気安い口をきくわけにもいかない。
 神之倉や氷上に敬語を使わないのは、少しでも近づきたいという思いもあったからだが、なにより本人達にそう望まれたからだ。許していてくれなければ、2人に対して今も敬語だったはずだ。
 その神之倉や氷上が、神宮寺に敬意を表して気安い口をきかない。立場上当たり前のことではあるが、実の祖父のように接しているように見える蒔麻でさえ、神宮寺を“鎌倉の御大”として敬語を使っていた。
 古賀沢と無関係だった頃ならいいが、事務所に出入りを許してもらっている以上、蒔麻や神之倉に準じないわけにはいかない。
 黙っている格の考えていることを察したのか、神宮寺は笑みを浮かべて格の顔を覗き込んだ。
「難しく考えなくていいんだぜ? ダチになってくれりゃあいいんだ」
「ともだち…?」
「こんなじーさんが友達じゃあ厭か?」
 古賀沢を介してではないのなら――個人としての一対一の付き合いなら、どう呼び、どう語ろうといいのかもしれない。
 それに格は、神宮寺が嫌いではない。どちらかというと、かなり好ましい。深くは知らないし、会話をしたのも今この時が初めてのようなものだが、それでも格は直感的にこの老爺を好きだと思った。
 関東ヤクザの頂点を極めた男が、ただの男のわけがない。好々爺然とした笑顔の向こうに、冷徹な顔も当然あるはずだ。かつて氷上が格に言ったように、この老爺は血と金と暴力に彩られた道を長きにわたって歩いてきたのだろう。
 だが、立場も生きる世界もまるごとひっくるめた上で神之倉を好きだと思ったように、好ましいと思った神宮寺はすでに“鎌倉の御大”だった。だから、それは大きな問題ではない。
 格は、自分の直感を信じた。
「…タメ口でいいの?」
「おう、いいぜ」
「なんて呼んだら?」
「好きに呼んでいいぞ」
「――神宮寺成生さん、だよね?」
「おう」
「んーと……じゃ、シゲじい」
 呼び捨てという感じではない。ちゃん付けもなんだろう。それなら――じっと考え込んでからふと口にした呼び名に、神宮寺は嬉しそうに破顔した。
「わしはなんと呼んだらいい?」
「格でいいよ」
 親しく言葉を交わす相手の年齢幅が大きいだろう自覚はあるが、その中でも神宮寺は最高齢だろう。だが、好みの面では他の誰より気が合うような気がする。
 両親共に天涯孤独で親類もいない格には、祖父ができたようで嬉しくもあった。
「じゃあ格、ケー番おしえてくれ。それからメルアドも」
「けーばん…って、シゲじい携帯持ってんの? メールもすんの?」
「ったりめぇだろ? 絵文字もバリバリよ?」
「シゲじいカッコイイ〜」
 年の差が軽く70歳を超える2人は、年齢差もジェネレーションギャップも一気に飛び越えて、その距離を縮めた。
 
 和やかなやり取りが繰り広げられていた地下から数階上の組長室では、地下道場の2人とはうって変わって厳しい顔の男女が応接用のテーブルを囲んでいた。
 古賀沢組四代目組長・古賀沢蒔麻、同若頭・神之倉士朗、同本部長・氷上宏一、そして神之倉の側近である佐伯篤弘の4人だ。
「いまだに行方がわからないとはどういうことだ?」
 神之倉の後ろに立って控えている佐伯に、氷上が問い掛けた。
 10日前、再度いくつかの組に接触するなどの動きを見せた小野田は、その7日後に名古屋から姿を消した。以後、小野田の行方は杳として知れない。
「少なくとも東に向かった様子はないんですが、北か南か、西か――それもまだはっきりしません」
「人手は?」
「姿を消す3日前に、いくつかのルートから数名を名古屋入りさせていたんですが、小野田の拠点近くで直接見張りをさせていたわけではないので――」
「佐伯。俺は説明を求めているんであって言い訳を訊いているんじゃないぞ?」
「…はい。失礼しました」
 眼鏡越しに送られた視線に、佐伯は身を固くして頭を下げた。神之倉につく以前は、氷上から交渉や金の動かし方について仕込まれていたこともあり、氷上を怒らせたときの怖ろしさはよく知っている。
 何か事が起こったとき、“力”の部分を神之倉に任せている氷上はあまり前面には出てこないが、それでも他の組織からは、神之倉と並んで敵に回したくない男だと思われているのだ。
 氷上は煙草に火を点けて神之倉を見た。神之倉は、腕を組み目を瞑って佐伯の報告を聞いていたが、氷上の視線の気配に気付いたのかゆっくりと目を開けた。
「どうする?」
 一度ふわりと紫煙を吐き出してから、氷上が尋ねた。
「……振り回されたくはないな」
「ああ」
「追うとなると、それなりの人数を割く必要がある。それなら――」
「雁首揃えてなんの相談だ?」
 唐突に会話に割り込んだ声に、その場の全員が一斉に扉の方を見た。
 ノックどころか、足音も気配もさせなかったその人物は、勝手知ったるという風情でゆったりと部屋に入ってきた。
「御大!?」
「よう」
 蒔麻の驚きの声に、神宮寺はニカッと笑い右手を挙げて答える。声と共に立ち上がっていた蒔麻は、そのままソファを離れて神宮寺に近寄った。
 佐伯が廊下を確認したが、神宮寺以外に人気はない。扉を閉めたその様子を見て、蒔麻が神宮寺に問い掛けた。
「まさか、おひとりですか? どうやってここへ」
「電車とバスを乗り継いで」
「そうじゃなくて…」
「4〜5年前によ、ここに来るとみんなしてへこへこ頭下げるから堅ッ苦しくて厭だって竜彦に言ったら、冗談半分にこっそり来るといいっつってコレくれたんだよ。使う機会がなかったが、いまだに使えるとはな」
 神宮寺は、そう言って右手を掲げた。
 指先には一本の鍵。
 それを目にした4人に、緊張が走った。
「地下の非常口。入れたぜ?」
「佐伯」
「はい」
 神宮寺の言葉を聞くなり神之倉が佐伯を呼び、名を呼ばれた時にはすでにドアノブに手を掛けていた佐伯は、一礼して素早く部屋を出て行った。
 2年前。小野田に破門を言い渡してから、事務所内のすべての鍵を取り替えた。以前のままでは、スペアキーを持っているだろう小野田に簡単に入り込まれてしまうからだ。念を入れ、防弾仕様だった組長室のガラスもより強度の強いものに変えた。
 しかし、洩らしている箇所があったのだ。地下の非常口は不要品の山の向こうにあった。神宮寺がここまで来られたということは、人が抜けられる隙間があるということだ。
 口に出すまで至らなかった神之倉の指示を、佐伯は完璧に理解しているだろう。すぐに鍵の取り替えの手配を済ませ、地下に向かったはずだ。
「面目ありません、俺の手落ちです。ありがとうございました」
「なあに、わしも本当に入れるとは思ってなかったしな」
 頭を下げた神之倉に、神宮寺はなんてことはないという風に手を振って答え、ソファに腰を下ろした。
 古賀沢竜彦は、磊落なだけでなく茶目っ気のある男だった。もしかしたら、冗談ではなく本気で地下から来いと言ったのかもしれない。
「ちょっと見ねえ間にここいらは子供の遊び場になったようだが、事務所ん中はかわんねえな。相変わらず居心地がいい」
「ありがとうございます。でも、どうして地下から?」
 神宮寺の右隣のソファについてから、不思議そうに蒔麻が尋ねた。
 こちらから訪ねることばかりだが、神宮寺がこの事務所に来たのは初めてではない。前回やって来たのは先代が存命中だった2年以上前になるが、その時は供連れできちんと正面から入ってきた。
 神宮寺は、まだ立ったままだった神之倉と氷上に座るよう促し、2人が元の位置に戻ってから蒔麻の問いに答えた。
「いい加減、隠居の身になって長ぇからなあ。正面からは気恥ずかしくてな」
「お電話下さればお迎えに上がりましたのに」
「たまにゃあ電車もいいさ。地下から入ったおかげでダチもできたしな」
 こっそり来たいというなら、連絡さえもらっていれば大勢で出迎えるという形は取らずに済ませることもできたのだ。だが神宮寺は快活に笑って首を振った。
 そしてその言葉尻に、全員が訝しげな顔をする。
「友達…?」
「お前のコレだよ、神之倉」
 小指を立てた神宮寺が、神之倉に向かってにやりと笑った。
「いや、コッチか? ん? どっち使うのが正しいんだろうな?」
 次に親指を立てて首をひねった神宮寺が、不思議そうに氷上に問い掛けた。
「御大、何を言って――」
 表情にこそ出ていないが愕然として固まっている神之倉に代わり、氷上が苦笑を浮かべてしらを切り通そうとする。しかし神宮寺は、あっけらかんと笑って、
「言い触らしゃァしねえよ。知ってんのは蒔麻ちゃんと氷上だけか?」
「御大」
「そりゃ驚いたし、野郎に落とされたってのも意外だったが、話してみて納得した。あいつぁいい。お前を選んだ格も目が高ぇ」
「御大、あの子は友人の子で――」
「わからんでもないぞ。わしがガキの時分にはまだそういう風潮もあったし、どっちもイケるダチもいたしな」
「ですから、御大――」
「もういい、氷上」
 なおも言い訳を続けようとした氷上を、神之倉が遮った。口許には、苦笑が浮かんでいる。
「いつかはバレるだろうと思っていた。それが今日だっただけだ」
 目で問い掛ける氷上にひとつ頷いて、神之倉は言った。
 万人に胸を張れるような輝かしい未来があるわけではない。それでも、格がそばにいると言ってくれる限り、格の方からもう嫌だと言い出さない限りは、神之倉は格を離す気はなかった。
 だから、神宮寺にはいつか悟られてしまうだろうという覚悟はしていた。
「いつ気付かれたんですか?」
「鎌倉で、初めて格を見た時さ。あいつ、お前しか見てなかったからな」
 神宮寺の唇が微笑みの形を作る。
 あの時、神之倉と格は神宮寺の前では会話すらしていない。格から神之倉へ向けられた視線、たったそれだけで気付かれていたのでは言い訳のしようがない。
「情の篤そうな奴だ。さぞかし押されたろう?」
「ええ、まあ」
「強さがなけりゃ、お前は落とせん。たいした玉だ」
 言って、神宮寺は神之倉を指先でちょいと招いた。立ち上がって近寄り、促されるまま身を屈めた神之倉の耳元に口を寄せ、手のひらで覆い隠すようにして小さな声で告げる。
「よかったなあ、おい。ずいぶん体も柔らけえようだから、いろいろできるぞ」
「御大!」
 言葉の意味するところを察した神之倉が、珍しく動揺を顔に顕して声を上げる。
「ははは。冗談だ」
 本当に冗談かどうか疑わしいといった神之倉の視線をものともせず、神宮寺は張りのある声で陽気に笑って、座るように手で示した。そして、神之倉が元の場所に腰を下ろすなり、
「――で、小野田がどうかしたか?」
 茶飲み話の話題を変えるように唐突に尋ねた。
 3人は揃って表情を険しいものに変え、神宮寺を見つめる。
「……御存知で…?」
「わしを誰だと思ってんだ」
「…愚問でした」
 蒔麻が軽く頭を下げた。
 引退したとはいえ、かつては関東を拠点とする広域組織である荻生会を率い、いまだ“御大”と呼ばれ絶大な影響力を誇る男だ。荻生会から入る情報はもちろん、独自の情報網も持っている。
 小野田が佐川会派の組員と会っているということは、古賀沢でもさして苦もなく調べが付いたことだった。ならば、神宮寺が知っていてもおかしくない。
「奴のこたァ気に掛けていたしな。なんせ、このわしの顔に泥を塗ろうとした男だ」
 何気ない口調ながら、声に含まれた凄絶な迫力に、3人は我知らず息を呑む。
 蒔麻の四代目就任は神宮寺の肝煎りだ。それに公然と異を唱えた小野田は、一度引き下がったように見せ掛けたが、結果的に破門にまで追い込まれるような真似をした。神宮寺に逆らったも同然だった。
「お前らも気付いているようだったからあえて口も手も出さなかったが、このところ動きが慌ただしいと聞いてな、気になって来てみた。状況を話せ」
 蒔麻が氷上を目で促した。目顔で頷き、氷上が語り出す。きちんと整理された事の経過に、若干の予測と情報を織り交ぜた淀みない説明に、神宮寺は一切口を挟まず最後まで聞ききり、大きくひとつ頷いた。
「なるほどな。で、お前らは奴の動きをどう見ている?」
「……この2年、何の動きも見せなかったのに動き出したという事は、やはり何か目論見があるのだと思います。再起を図る気か、古賀沢を狙っているのか――」
 蒔麻が固い声で返した。神宮寺は、少し考える素振りを見せて顎をひと撫でし、首を傾げる。
「わしには奴がいま再起を図れるとは思えねえがなあ」
「しかし佐川会系の組に接触があったのはたしかです。2年間この世界には姿を見せていませんでしたが、何もしていなかったわけではないでしょう。水面下での動きはあったはずです」
 古賀沢も、ただ小野田を野放しにしていたわけではない。小野田の持っていた資金ルートや関係がありそうだと思しきものには極力目を光らせてきた。しかし、古賀沢の知る資金源を使い続けるほど小野田も馬鹿ではなく、破門された以上、そう簡単に極道の世界に新たな居場所が出来るわけでもない。
 この2年間、小野田の動向についての情報は全く入ってこなかったが、裏社会からも姿を消してさらなるアンダーグラウンドへ潜るか、逆に表社会に出るかすれば、古賀沢や荻生の情報網にも掛かりづらくなる。
「氷上はどう思う?」
「…水面下では当然動いていたでしょうね。奴は、表裏問わずいくつものパイプを持っていましたから。しかし、佐川会へ接触した狙いは不確かです。ストレートに考えるなら、四代目の言うとおり再起を図るためか、古賀沢を狙うためでしょうが…」
「奴はたしかに金儲けの才はあったが、お前らが潰してきた奴の資金源は、奴が5年以上かけて形にしたものも多い。それを、信用を無くした状態で2年で立て直せるとは思えん。だが、古賀沢を狙うことも無理な話だ」
「そうでしょうか?」
「奴の思惑がどうあれ、いまの奴と古賀沢では勝負にならん。奴は、勝てない喧嘩はしないだろうよ」
「では何故、佐川会に接触を?」
「さてな。何かの策か、牽制か――ともかく、極道ってなァそれほど甘いもんじゃねえよ」
 一瞬だけ瞳に刃のような光を走らせた神宮寺に、神之倉と氷上は背筋を緊張させ、蒔麻は息を飲んだ。
 老いても、一戦を退いても、半世紀以上を極道として生きて東の頂点に立った者の凄みはなくしていない。むしろ、ふだん険しさのかけらも見せず好々爺然としているだけに、不意に見せる極道の顔は凄まじい。
「お前らの張った予防線は、かなり強固だったとわしは見ている。あと数年は立て直せんだろう。あいつは執念深い奴だが、良くも悪くも武闘派ヤクザにゃなりきれん男だ。お前らを殺
(と)って終わりとは思ってねえだろうよ。金も、勢いも、もう一度盛り返して古賀沢を潰す。じゃなきゃ、あいつは心から満足もしねえし、この世界では生きていけねえ」
「…第三者の前に這い蹲って生きていくようなタイプではないな、たしかに」
「完璧主義でプライド高いからな…自分
(てめえ)の力でのし上がらないと気が済まないだろう」
 神之倉と氷上は、神宮寺の言葉に呼応するように頷き合った。
 小野田には、己の才覚ひとつでのし上がってきたというプライドがあった。誰かの後ろ盾があったわけではない。金を動かす腕ひとつで、若頭補佐にまでなったのだ。その点は、神之倉も氷上も認めている。
「お前ら、奴には散々苦労したからな、少し過敏になってるんじゃねえか?」
「……それはあるかもしれません」
 氷上は神宮寺の台詞を認めた。神之倉も否定しない。
 それまで、手として使える人間の10や20はいた中堅幹部ではあったが、突然傘下5組織を束ねるポジションに就いたのだ。当然、仕事の量も重みも異なる。
 そんな中で、何年もの経験の差のある古賀沢最高の経済ヤクザを向こうに回しての経済戦だ。やり甲斐はあったが当分は御免だと、神之倉も氷上も当時思ったものだ。
 あと半年――せめてあと1年、時間がほしい。そうすれば、万全の態勢で戦える。
 先代や、あえて補佐に回ってくれた瀬尾ら古参組員から預かった“古賀沢”を、そう度々疲弊させるわけにはいかない。
 そんな思いが、必要以上に警戒心を抱かせているのかもしれない。
「お恥ずかしい限りです」
「突っ走ってばかりもいられねえ立場になっちまったからな、仕方がねえさ。いまだから言うがな、俺も、枷なんぞなけりゃあよかったと思ったことは何度もある」
「御大」
 思いがけない告白に、神之倉と氷上が押し止めるように神宮寺を呼んだ。しかし神宮寺は、気にした風もなく笑う。
「それが厭だったわけじゃあねえのさ。どれもこれも捨てられねえ、大事なもんだ。一度背負ったもんをおろす気もねえしな。死ぬまで担いでいくさ」
「……長生きしてください」
 ぽつりと蒔麻が言った。
 後ろ盾がいなくなることを恐れているのではない。血縁はなく、夫にも先立たれた蒔麻には、極道としてではなくかわいがってくれる神宮寺は祖父のようなものだ。
 だから、そんなに急いで逝ってしまってほしくない。甘いとわかっていても、言わずにいられなかった。
 真剣な目と声で蒔麻に告げられ少し面食らった後、神宮寺は優しい表情を見せた。
「そう簡単にくたばりゃしねえよ。しぶといのが身上だ」
 生きるだけ生きたら死ぬのもいいと常に嘯いている男だが、小柄な見た目を裏切る頑強さと強運で長い時間を極道の世界で生き抜いてきた男だ。病気ひとつしたことがない。死神も匙を投げているといつも笑っている。
 今日も神宮寺は陽気に笑って、心配いらねえよと重ねて諭すように蒔麻に言った。
「で、話が逸れちまったが、結局どうすんだ、小野田のことは?」
「奴の思惑がなんであろうと、やはり行方が気になります」
「そうさなあ……」
 神宮寺は渋面を作り、宙を見上げた。
 場に沈黙が満ちる。
「国内にはいないのかもしれない」
「国内にいるとは限らねえんじゃねえか?」
 しばしの静寂ののちに同時に挙がった声は、神之倉と神宮寺のものだ。
 神宮寺は腕を組んだまま顎をしゃくって神之倉に言葉の続きを促す。神宮寺に黙礼してから、神之倉は蒔麻と氷上に順に視線を遣った。
「いかに後手に回ったとはいっても、全く網に掛からなかったということは網を張った場所の問題かもしれん。これまで国内にしか目が向いていなかったからな」
「そうか――」
 呟くように言って、氷上は考え込むように目を瞑った。
 そして再び目を開け神之倉を見つめた濃灰色の瞳は、静かで落ち着いていた。
「名古屋から小野田が消えた日からの航空機の乗客名簿を手に入れよう。それから、小野田の手札から辿れる偽造屋が知りたい」
「偽造パスポートか……わかった。捜させよう」
「奴のいまの資金源は俺が探る。それから、あと1年を見ていたが、うちのほうの足場は半年で完全に固めよう」
「任せた」
 氷上が出した希望に神之倉が頷き、続く言葉も首を横に振ることなく了解する。方針が決まると、2人とも動きは早い。
 神宮寺はそんな2人を見て、口の端に僅かに笑みを刻んで立ち上がった。
「そんじゃあ、そろそろ帰るとするか」
 蒔麻が続いて立ち上がり、片手を懐手にして背を向けた神宮寺を追った。神之倉と氷上も、相次いで腰を上げた。
「お送りします。車を――」
「大丈夫だ。たまにゃあ電車もいいもんだぜ」
「ですが…」
「心配すんな。どうせこっそりついて来てる奴がいる」
 神宮寺は微笑んで、言い募る蒔麻の頬を指先で軽くつついた。
 どんなに神宮寺が1人でいいと言い張っても、神宮寺のボディーガード達は付かず離れず神宮寺を守り続けるだろう。神宮寺に対する忠誠と、荻生会の指示は徹底している。
 それをわかっていて、神宮寺はあえて知らぬ振りをしているのだ。
「……ご足労いただきまして、ありがとうございました」
「なあに、お前らならほっといても大丈夫だとわかっちゃいるんだがな、年寄りのお節介だ。許せよ」
 苦笑を浮かべて、神宮寺は踵を返した。
「一応お忍びだ。見送りはいらねえぞ」
「では下まで」
 神宮寺に蒔麻が続く。神之倉と氷上は立ったまま、ドアの向こうへ消える神宮寺の背に向かって、深々と頭を下げた。


 神宮寺が古賀沢の事務所を訪れてから3日後の深夜。
 たいした情報もなく膠着していた状況に、変化が現れた。
「どう思う?」
 氷上の問いに、神之倉は腕組みを解いた。
「はっきり言って、解せない」
「……だな」
 神之倉の答えに、氷上も目の前の光景を眺めて頷いた。
 組員達が、散らばったガラスを撤去している。割られたのは2階の窓で、使用されたのは石だ。
 自宅に戻ってひと息つく間もなく氷上から呼び戻された神之倉は、現場を見るなり眉間に皺を寄せた。銃弾を撃ち込まれたのなら解るが、投石などという古典的手法で攻められると思っていなかったからだ。
 しかも、蒔麻の部屋のある3階へは何もなかった。強化仕様の防弾ガラスなので石を投げた程度では割れはしないが、当たった痕跡すらないという。2階は組員の詰め所であって、投石があった時分は組員が1人いただけだった。そんな所に投石では脅しにもならない。
 小野田の仕業だとは思えなかった。頭脳が力だという典型的な経済ヤクザとはいっても、20年以上この世界にいる。そして、やるのならもっとも効果の高い手段を選ぶ男だった。舎弟連中にやらせたのだとしても、脅しのつもりなら銃を使うだろう。
「で、投げた奴は見つかったのか?」
「まだだ。探させているが――20分くらいか」
「向かいのビルからじゃないのか?」
 他に、事務所に投石が出来るような場所はない。10数人は出しているようなので、20分もあればひと通り見て回れるだろう。
「俺もそう思ったんだが…」
 氷上は難しい顔をして腕を組み、ガラスの割れた窓に目を遣った。
 そこへ、廊下を歩く靴音が聞こえてきた。
「氷上、神之倉」
 呼ばわる声と共に、黒いトップスにアジア調のロングスカートという軽装の蒔麻がひょっこりと顔を出した。
「蒔麻さ――…四代目、どうなさったんですか?」
「そこまで言ったんなら言い切ってくれてもいいのに」
「組員に示しがつきません。それより何かありましたか?」
 深夜に煌々と明かりがついているため、この部屋の動きは外からある程度見やすくなっている。氷上は、蒔麻を体で庇いながら尋ねた。
 蒔麻は、事務所から車で数分の高級住宅街の邸宅にひとりで住んでいる。正確には、先代の頃から住み込みで働いている家政婦一家と、同じく住み込みの組員が幾人かいるので、独りきりというわけではない。
 先代が残した純和風の数寄屋造りの屋敷だが、セキュリティは最新式の強固なもので、屋敷にいるぶんには蒔麻に危険は少ない。何か事が起こるとすれば、事務所との間の移動がもっとも危険度は高かった。
 しかし蒔麻が四代目を継いでからは、外出の際には氷上が蒔麻の傍にいることが多く、その点では神之倉も安心をしている。今夜も氷上は、蒔麻を自宅に送り届けてから事務所に戻り、仕事を続けていた。
「戻られるなら連絡してくださいよ。すぐ迎えに行きますから」
「ごめんなさい」
 当初は、何をおいても蒔麻が優先という氷上に遠慮をしていた蒔麻だが、いまではもうそれはなかった。自分が核なのだと自覚したからだ。
 鎌倉の御大も、古賀沢の古株組員達も、お飾り人形としてではなく蒔麻を選んだ。トップをなくした組織はそれがどんな人物であれ必ず揺れる。古賀沢竜彦という大きな柱を失った古賀沢を、またも揺らすわけにはいかなかった。
 それをわかっているはずの蒔麻が、氷上に連絡もせず深夜の事務所に戻ってきたということは、何かがあったのだ。
「何があったんですか?」
 神之倉が、氷上と同じ質問をする。
 蒔麻は顎に拳を当てて考え込む仕草をして、神之倉と氷上の顔を順繰りに見た。
「ここ数日、尾行されてるような気が、して……」
 蒔麻は自信なさげにそう告げた。
「気がするだけですか? それとも何か根拠が?」
「常にじゃないんだけど、見られてる感じがするの。執拗で、冷たくて暗い視線で――でも、それらしい姿は見えないのよ」
 困惑の面差しで訴える蒔麻に、神之倉と氷上は顔を見合わせた。
 小野田の行方がまだわからないことが、蒔麻を神経質にさせているのかもしれない。だが、蒔麻はそれほど弱い人間ではなかった。怯えて閉じこもるなら、立って戦うことを選ぶ。
 格が事務所地下の道場に通うようになってから、疲れが滲んでいた表情は明るくなり、気力も十分だと神之倉も氷上も見ていた。
「今日、事務所を出るときにも同じ視線を感じた気がしたの。でも氷上は何も言わないし、気のせいかと思って。だけど、どうしても気になってしまって帰ってからもずっと考えてたら、突然胸騒ぎがしたのよ。いてもたってもいられなくって、ぐるぐる考えているよりは動いた方が早いと思って――」
 蒔麻は、ガラスの散った室内を見回した。蒔麻の胸騒ぎと、この現状と、尾行されているかもしれないという3点に関連性はあるかもしれないし、ないかもしれない。
 しかし、あると考えると説明がつく。
「誰も怪我はない?」
 ずっと落ち着かない様子だった蒔麻が、氷上の影から顔を出して室内を片づけている組員達に尋ねた。尾行云々の報告を優先したが、組員達の安否が気になって仕方がなかったようだ。
「大丈夫ッス、組長」
「こっち危ないですからそこにいてくださいね」
 組員達は明るく答えて笑顔を返した。柄も人相も悪い若い者達も、硬派強面で通っている組員達も、蒔麻の前では行儀も愛想も良くなる。
 先代の元に嫁いできたときから、蒔麻は組員達に好かれていた。蒔麻も、分け隔てなく組員達をかわいがっている。それでも過剰に甘やかすことはなく、加えて神之倉と氷上の存在があるので、組内が弛むことはない。
「あいて」
 若い組員の1人が声を上げた。
「なんだよ、切ったのか?」
「たいしたことないッスよ」
「大丈夫?」
 蒔麻が、氷上を押しやって前へ出た。
 その直後、床を打つ微かな物音に神之倉は振り返った。そして、続いて飛んできた何かを、咄嗟に片手で受け止める。感触で石だと認識した瞬間、神之倉は鋭く指示を発した。
「伏せろッ!!」
 声と共に、氷上の手が蒔麻の腕を引いて足が床を蹴った。数瞬遅れて組員達が体勢を低くする。
 固いものが床とそこに散ったガラスを叩く音と、残ったガラスの割れる音が室内に響いた。
「若頭!」
 音はすぐに止み、年嵩の組員が体を起こして神之倉を呼ぶ。ただ1人立ったままでいた神之倉は、散ったガラスを踏み散らして窓へと向かった。
「若頭――」
 声を背に、割れた窓から表を見回す。深夜のため、見晴らしは悪い。しかし、最初の投石のあと氷上が周囲の捜索に出した組員達の姿が見えた。再度の投石に気づいたようで、慌ただしく走っていく。石が飛んできた方向が判別できたのだろう。
 振り返った部屋の中には、いまの投石で怪我をした者はいないようだ。神之倉は開いたドアへと向かった。
「無事か?」
「…怪我は、蒔麻さん?」
 神之倉に声を掛けられた氷上は、倒れたまま腕の中の蒔麻に向かって問いかけた。蒔麻は、己の頭部と上半身を覆っていた氷上の腕から抜け出し、ゆっくりと身を起こした。
「どこもなんともないわ、ありがとう。それより氷上は大丈夫? 鈍い音がしたけど」
 心配そうな顔をして差し出した蒔麻の助けの手を借りずに起きあがり、氷上は苦笑を浮かべた。
「勢いをつけすぎました」
 どうやら、蒔麻を抱えて廊下に飛んだ勢いで壁に激突したらしい。
「どこぶつけたの?」
「肩ですが、打ち身程度ですから大丈夫ですよ。それより中は――」
「みんな、怪我はない!?」
 部屋の中を気遣った氷上に続いて、振り返った蒔麻が声を大きくして問いかけた。部屋の中からは、次々と大丈夫だという返事が戻ってくる。蒔麻の顔に安堵の色が浮かんだ。
 神之倉は片膝をつき、壁にぶつけたと思しき氷上の肩に触れた。骨には異常はないようだ。触れて押した瞬間ほんの少しだけ目を細めた氷上だが、それ以上の表情の変化はない。見た目のイメージよりはるかに頑丈に出来ているので、このくらいでは痛いとも言わないだろう。
「正確にはわからんが、飛んできた数は8個から10個だ。1人じゃないな」
 肩越しに部屋の中を振り返りながら神之倉が言った。
「1度目から30分経っていない。同じ奴らか?」
「たぶんな」
「―――」
 2人は、蒔麻が現れるまで話し合っていた件に思いを巡らせた。――投石は誰の仕業なのか。
 そこへ、廊下を走る慌ただしい足音が聞こえてきた。現れたのは、表の捜索に当たっていた組員のひとりだ。
「氷上さん」
「おう、どうした?」
「すいません…ッ」
 神之倉や氷上と同年輩の組員は、氷上の問い掛けに悔しげに頭を下げた。
「姿は目にしたんですが、3手ほどに分かれて上手く逃げられました。こちらも2人ひと組で6手に分かれて追ってます。指示通り、極力騒ぎ立てるなと言ってあります」
「ああ、それでいい」
 氷上は報告に頷いた。過剰な動揺を見せると、小野田にだけでなく他の組織につけ込まれる元になりかねない。それに、騒ぎを起こして警察が出てくると面倒だ。
「人数と特徴は?」
「6〜7人で、軽装でした。こう――尻が見えそうなくらいズボンを下げている者もいて」
「…若いのか?」
「顔はよく見えなかったんで定かじゃありませんが、見た目だけならハタチ前後のガキですね」
 想定外の答えに、氷上はすうっと目を細めた。
「それからこれを――奴らがいたらしい現場にありました」
 組員は、コンビニエンスストアのビニール袋を差し出した。中には、炭酸飲料の空きペットボトルや駄菓子やスナック菓子の空袋、アイスキャンディーの棒、煙草の空き箱が入っていた。
「…これで全部か?」
「はい」
「――わかった。すまんが、お前は戻って捜索に合流してくれ」
「はい」
 組員は指示に頷いて、小走りに駆け戻っていった。
 氷上は組員の背を見送って、神之倉へ視線を移した。神之倉は、組員が持ってきたビニール袋の中身を睨むように見つめている。
「こども――“子供の遊び場”……?」
 呟いて、神之倉が顔を上げた。それを聞いた氷上の目が、僅かに見開かれる。
「そうね。飲み物といい、お菓子といい、なんだか雰囲気がやけに子供っぽいわ」
 同じくそばでゴミを見ていた蒔麻も、そう言って首を傾げた。
 たとえば第三者に金で投石を依頼したとしても、完璧主義の小野田なら現場にゴミを遺していくような輩には任せないだろう。そしてたしかに、ゴミの内容物がどうも幼い。煙草が含まれているが、それ以外はまるで子供の好むようなものばかりだ。
「氷上。いま現在、うちに喧嘩を吹っ掛けてくるような組があるか?」
「なくはないが、勝てない喧嘩を仕掛けてくるほど馬鹿じゃない」
「小野田の件が漏れたという可能性は?」
「それに乗じようとしているような動きは、俺の枝には掛かってきてないな」
 そこまで聞いて、神之倉は沈思した。
 小野田の姿を見掛けてからの経緯と情報を、頭の中で再構築する。些細なことだと切り捨てた事柄も拾い上げる。
 そして、握ったままだった石塊を軽く投げ上げて再び手の中に収めたときには、腹はもう決まっていた。
「外にいる奴らを徐々に事務所に引き上げさせろ。だが、2組は朝まで残せ」
「――OK」
 氷上はここまでの指示で神之倉の考えていることを察したようで、あっさりと諒承して立ち上がり、携帯電話を取り出した。一方、飲み込みかねている蒔麻が首をひねる。
「神之倉?」
「投石をした奴らの狙いはおそらくあんたです。そして、土地勘がある」
 一度目の投石が誘いだったのか示威行動だったのかは定かではないが、2度目はおそらく蒔麻の姿が見えたから投げたのだ。
 そして、一度目の投石のあと哨戒役の組員がうろついている中で再度の投石を行ってなお逃げられるということは、相当このあたりに詳しいということだ。
 蒔麻しか視線に気付かなかったのは、蒔麻が語ったとおり常に尾行しているわけではなく、物陰から見ているときも蒔麻だけを見ていたからだろう。いかに氷上でも、常時見られているか殺気があるかでもなければ、自分に向けられているのでもなく姿も見えない視線の主に気付くのは難しい。
「四代目、視線を感じてその主を探したとき、相手をヤクザ者だと思って探されましたか?」
「もちろん――…違うの?」
「子供の遊び場になったのか、と御大が仰ってたのは覚えてますか? 御大は、この付近で幾人かの子供の姿を見たんでしょう」
「こども? どうして子供が私を尾行するの? それに、子供じゃ2階の窓ガラスを割れるような投石なんて出来ないわ」
「高校生か、大学生なら?」
「でも子供っていったら――」
「御大から見れば、大学生でもほんの子供ですよ」
「―――まさか…?」
 訝しげな顔をしていた蒔麻が、ぽつりと呟いて目を見開いた。思い当たったことを自ら否定するかのように首を振る。
「だって、あれくらいで? それに、このあたりに詳しいならうちがヤクザだって判ってるはずでしょう?」
「真意はわかりません。けれど、あり得ないことではないですよ。あんたを見張って、ここまでやって来て、故意に投石をしたと考えるのが妥当です」
「……」
「もちろん、小野田が“子供”を雇ってあんたを尾行させ、投石させたという可能性もなくはありませんが」
 古賀沢ではそういったことはしていないが、この数年、堅気の人間を運び屋や売人に使う組織が増えている。悪さをしてぶらついている未成年者を金で雇って暴れさせる組織もあった。だから、小野田という可能性はもちろんある。あるのだが、薄い。
「どちらにしろ、長引かせたくも振り回されたくもありませんから、ひと息に片を付けましょう」
「どうやって?」
「見張りは立てますが、穴を作ります。そして、あえて内に」
「……地下の非常口、みたいな?」
「はい」
「…わかったわ」
 蒔麻は得心して頷いた。
 深追いをせず、正体が露見しているのかいないのか、手が出ないのか、興味がないのか、それらの判別がつきにくい様子を見せる。自己顕示欲が強ければ、十数人のヤクザに追われても見つからなかったという自信がまたこの場所まで足を向けさせるだろう。
 そして、3日前に神宮寺が入ってきたような“穴”をわざと作り、この界隈に誘い込む。事務所のごく近くから投石をするような輩なら、怖いとも思わず乗ってくる率も高い。
 屋外で騒ぎを起こせばいろいろと厄介だが、事務所内でならいくらでも切り抜けようはある。
 神之倉は腰を上げ、蒔麻に向かって手を差し伸べた。
「何があっても、四代目の身は俺と氷上が必ず守りますから」
「それは、全然心配してないわ」
 蒔麻は100%の信頼をこめた微笑みを浮かべ、差し出された手を取った。


−続−


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