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Vol.4.5 手と手の温度
これまでデートをしたのは1度きり。ほんの数時間の、夜のドライブだった。
今日は、待ちに待った初めての丸1日デートの日である。
あれこれと悩んだ末に決めた行き先は江ノ島。夏休みなので人出も多そうだが、いっそデートっぽくていいかもしれない。アミューズメントパークやお定まりのデートスポットよりは、よほど自由が利くだろう。
格は、自然ににやけてしまう口許を必死に引き締めながら、神之倉の部屋の呼び鈴を押した。
「――仕事…?」
出て来た神之倉を見るなり落胆も露わに口に出してしまい、格はしまったと思った。きっと、口調以上に残念さが顔に出てしまっているに違いない。仕事の邪魔はしないと決めているのに、まだまだ未熟だ。
「いや、オフだぞ?」
神之倉は言ったが、どう見てもそうは見えなかった。何故なら、いつものようにスーツ姿だったからだ。
「えーと…まさかそのカッコで行くつもり?」
「……やっぱりまずいか?」
神之倉は眉間に皺を寄せて、自分の首から下を見下ろした。
「だって江ノ島だよ? 浜じゃなくて島のほうだから泳ぎに行くわけじゃないけど、ほとんどアウトドアだよ?」
三ツ星レストランでディナーなどというデートコースならスーツで当たり前だが、江ノ島のエスカーやら稚児が淵やらをスーツでうろうろする人間はいないだろう。現に格は、ハーフパンツとTシャツにバスケットシューズと軽装だ。
「そうだよな…わかってるんだが……。すまん格、もう15分時間くれ」
難しい顔で腕を組んだ神之倉は、そう言って踵を返した。
もしかして――?
ある予測が閃いたが、いくらなんでもと打ち消した。しかし、有りそうな気もする。
格は神之倉の後を追って寝室を目指した。
開きっ放しのドアから覗いてみると、クローゼットの前で大層難しい顔をして立っている神之倉が目に入った。
そっと近付いて、神之倉の脇からクローゼットの中を覗き込む。
「――なんでスーツしか入ってないわけ?」
壁一面を占めているクローゼットの中は、予想以上にスーツだらけだった。季節のもの以外にはカバーが掛かっていて、端にはコートが数着掛かっている。あとはネクタイとワイシャツ。見事にスーツだらけだ。
「……着る機会がないんだ」
「は?」
「だから、スーツ以外の服を着る機会は滅多にないんだよ」
困ったように眉根を寄せて神之倉は言った。
「オフに外に出ることはあまりないし、そもそも、もう何年も丸一日オフを取った記憶もないし…」
――ワーカホリックなんだもんなぁ…
声に出さずに嘆いた。休みなどあってないような世界だとわかってはいるが、私服も持たないほどとはいくらなんでも働き過ぎだ。
「でも、全然持ってないわけじゃないんだろ? 前にウチに来た時は私服だったじゃん」
「そりゃあ自宅で着たり、ちょっとそこまでって時に着るようなのはあるが、外出着となるとなあ…。特に夏服は――」
格はがっくりと脱力した。
そして、これまでそれに気付かなかったことに愕然とする。いまにして思えば、神之倉と会う時は9割方スーツなのだ。朝の外出前か、帰宅したところをつかまえるかがほとんどだからだろう。そして、屋外に至っては10割だ。
「――わかった。スーツのままでいいよ。行き先変えようぜ」
「え?」
「次のデートで着られるような服買いに行こ」
「だが…お前はそれでいいのか?」
「町歩きだってデートだよ」
特に理由があって江ノ島に決めたわけではない。どこかへ行こうと言ってくれたから少し足をのばす場所に決めたが、神之倉といられるなら近所の公園やスーパーだってかまわないし、家の中から一歩も出なくともかまわなかった。
だが、スケジュールを調整してまで一日を空けてくれた神之倉の誠意に対して、どこでもいいと言うよりはちゃんと場所を決めたほうがいいと思ったのだ。
「近場だとやっぱりまずいかな?」
古賀沢の縄張り近辺で2人きりでフラフラしていては、古賀沢組の関係者に見つかるかもしれない。格の存在は知られているが、神之倉との関係まで知っているのは蒔麻と氷上だけなのだ。
それに、先週いろいろとあったばかりだ。氷上の話では、いま喧嘩を売ってくる組織はないということだが、側近の佐伯も舎弟連中も付いていないのでは狙ってくださいと言っているようなものだ。
「東京に出る?」
「そうだな…」
「じゃ、そーと決まれば念のため変装変装♪」
格は、神之倉のネクタイの結び目に指を入れて緩め、ネクタイを引き抜いた。そうして現れたワイシャツの襟元のボタンを2つほど外す。次に頭部に手を伸ばし、上げられている前髪を下ろして手櫛でかき上げた程度にした。
「これでけっこう違うよ。メガネもかける?」
「サングラスならあるが、眼鏡か…」
「フチ有りよりはフチ無しかなあ」
「そういえば、氷上が忘れていったヤツがあったな」
度が入っていない氷上の眼鏡ならちょうどいい。
リビングまで移動して眼鏡を探し出し、格の手で神之倉に掛けた。
ノーネクタイのせいか、眼鏡のせいか、いつもより雰囲気が幾分柔らかい。
「行こ」
格は笑顔で神之倉の手を取って、玄関へと向かった。
「…う〜ん……」
試着室から出て来た神之倉を目にして、格は低く唸った。
これといった決定打に欠けるまま5件目の試着なのだが、ここも何か違う。
背が高いので、まずサイズがない。直営店でなくデパートのテナントなので、標準サイズしか置いていないのだ。
だから、試着は5件目だが覗いた店は10件を超えていた。サイズのあった5件でも、スーツなら問題ないのだが、カジュアルな服装となるといまいちしっくりこない。
イメージのせいだろうか?
格は首をひねって試着の済んだ服を受け取った。
だが神之倉には、この結果が予想出来ていたようだ。
「特に夏はスーツしか似合わないと散々氷上に言われているからな」
「でもスタイルいいんだから似合わないはずないんだけどなあ」
だが、その通りなのだ。たぶん、冬服ならこれほどではない。薄着のイメージがないのだ。
あらためて、神之倉に似合う服を考える。
ひと目見てかっこいいと思った、格が神之倉と初めて会ったその時は、スーツの上着を脱いでネクタイをゆるめたワイシャツ姿だった。
スーツの背中は文句なしにかっこいい。
それから――
「……道着……」
「え?」
「道着が似合うなら、たぶん…」
格は最寄りのフロアマップまで走り、目的の店を探した。8階だ。
これだけ探して1着もないのでは悔しすぎる。それに、神之倉を好きな気持ちは誰にも負けないと自信を持って言える自分が、その好きな人に似合う服を見つけられないというのが情けなくて許しがたい。
格は半ば意地になって、神之倉の手首を引いて8階に向かった。
8階呉服売り場。季節柄、フロアには色とりどりの浴衣が並んでいる。
格の目当ては当然和服だ。
もはや当初の“デートに着ていける服”というコンセプトをすっかり忘れ、スーツ以外で神之倉に似合う服を探すという一事のみで、格は呉服売り場に突進した。
「いらっしゃいませ」
中年の女性店員が、にこやかに奥から歩み寄って来た。
「何をお探しですか?」
「えっと、きもの――この人に似合うのを」
店内を見回しながら格は答えた。
「お着物ですね。どうぞこちらにおかけください。男性用ならそうですね、こちらはいかがでしょう」
店員は店の奥に2人を導いて、笑顔のまま次々と反物を広げていった。
藍、鼠、黒――渋めの色が広がってゆく。
「裄丈を測らせていただいてよろしいですか?」
背後に回り込んだ店員に頼まれ、神之倉は了承した。店員はメジャーを取り出し、神之倉の後ろ首を始点に腕へとメジャーを延ばしていく。
「お客様はご立派な体格でいらっしゃるから、寸の足りる反物はこちらになりますね。特急で仕立てて20日ほどかかりますがご予定よろしいですか?」
「そんなにかかんの?」
格は思わず声を上げた。それではいまは試着姿も見られないということか。
「俺のように標準サイズでない場合はまず仕立てだよ、格」
「きものって調整きくんじゃないの?」
「女性のお着物でしたらおはしょりで多少の調整はできますけれど、男性は丈の合ったものがよいですよ。あと裄丈――お袖の長さも個人に合わせた方が」
洋服のように出来上がった状態で売っているものでは駄目なのかと、格は少々落胆した。
そして、ふと目に入った反物の値札に愕然とする。
ゼロの数が、思っていたよりひとつ多い。
いくらなんでもこんな額をぽんと出させるわけにはいかない。それに、仕立てるということは仕立て代が別にかかるということだ。総額でいったい幾らになるのか、格には想像もつかない。
「浴衣で仕立て上がりはありませんか?」
格がひとり混乱している中、神之倉が店員に尋ねた。
「ございますよ。お持ちしましょうか」
「お願いします」
店員は頷いて、すぐさま浴衣を探しに立った。
「…士朗、ほかの店行こ」
店員が席を外している間に、神之倉の袖を引いて格は囁いた。
「かまわないが…着てみせなくてもいいのか?」
そう問われて、格は言葉に詰まった。
たしかに服を探すのが目的だったが、試着をしてもらっていろいろな服装の神之倉を見るのも楽しかった。和服はきっと似合う。見てみたい。
「でも……」
「値段のことなら気にするな。浴衣の方がずっと安い」
格の心中を見透かしたかのように神之倉が囁いたところへ、店員が戻って来た。
「お待たせしました。こちらでいかがでしょう」
店員が広げて見せたのは、大胆な大柄ものから無地に至るまで様々な色と柄が揃っていた。
「お若い背の高い方用の大きなサイズも増えてますから、色柄合わせてかなりのバリエーションがありますよ」
「どれが似合うと思う?」
神之倉は、かたわらの格に問い掛けた。
「え? えっと…」
問われるまま、格は浴衣の中から一枚を選び出した。
薄い銀鼠色の生地に濃藍色で粋な柄が染め付けられているその浴衣を、店員が神之倉の肩に乗せ掛ける。
「こちらは生地が良いものですから、襦袢を着て夏の外出着としてもお召しいただけると思いますよ」
「そうですね…じゃあ襦袢と、帯もお願いします」
帯の色と形を指定し、ついでに履き物まで頼んだ神之倉は、屈んで格の背中を押した。
「おまえも好きな浴衣を選ぶといい」
「俺も?」
「ずいぶん遅くなったが誕生日プレゼントだ。今夜花火大会をやっているところがあるから、浴衣で行ってみるのもいいだろう」
思いもかけず夏のデートらしくなってきて、格は口元をほころばせた。
先週の地元の花火大会は、古賀沢組の事務所で音だけを聞いた。規模は小さいが、8月の終わりにまた近場で花火大会があったので、その時に一緒に見に行けたらいいなと少し思っていたのだが、それより早く望みが叶うとは思ってもみなかった。
格が浴衣を選んでいる間に着替えてくると言う神之倉を見送って、格は浴衣選びに熱中した。きっと和服が似合うだろう神之倉の隣を歩くなら、並んで恥ずかしくないものを着たい。
やがて、試着室のカーテンが開く音がして、格はそちらを振り返った。そして、視線が釘付けにされる。
ああもう、馬鹿と呼ばれてもいい。めちゃくちゃカッコイイ。
予想以上に慣れた様子で浴衣を着こなしている神之倉の男振りにくらくらしながら、格は胸の内で呟いた。
「お客様、とてもお似合いですわ。肩がしっかりしていらっしゃるのに和服をすっきりと着こなせる方はなかなかいらっしゃいませんよ」
50をとうに越えているだろう店員が、うっとりとして感嘆の声を上げる。
スーツが似合う大柄な神之倉は、それほど日本人離れしているわけではないが、なで肩で重心が低めの純日本人体型ではない。それでも肩が張らずに腰も据わって見えるのは、武道の経験があり腰のあたりに重心がおけるからだろう。
そして店員は、格に向かって衝撃的な言葉を掛けた。
「素敵なお父様ね」
……父。
自分と神之倉の年の差は十分に自覚しているつもりの格だったが、親子と間違われたのは初めてだ。
思いの外破壊力抜群のひと言に、格は呆然と立ち尽くした。
「そろそろ機嫌直さないか、格?」
浴衣を買ったデパートから車で2時間、川岸を並んで歩きながら、傍らの格を見下ろして神之倉が言った。
花火の打ち上げを間近に控えて川岸にはたくさんの露店が建ち並び、土手にはすでに大勢の人が繰り出して場所取りを始めている。
最終的に神之倉が選んだ古典的な蝙蝠(へんぷく)柄の浴衣を着た格は、眉を寄せて神之倉を見上げた。
「機嫌悪いわけじゃないけど…」
「親子と思われたのがそんなにショックか?」
「そりゃショックだよ。もちろん恋人同士って見られることはないだろーけどさ…」
言い淀んで格は唇をとがらせた。
これだけの年の差では、友達とは思われにくい。兄弟というにも年が離れている。そうなると、親子という発想ももちろん出てくるだろう。わかってはいるのだが、いざ口に出して言われるとやはりスッキリしない。
「俺が老け顔なのもあるが、若くして結婚する奴の多い時代だから、おまえぐらいの息子がいてもおかしくはないと思われたんだろう」
「俺は嫌だよ、親子なんて」
「本当は違うんだからいいじゃないか。それに、親子と思わせておけば都合のいいこともあるぞ?」
珍しく悪戯っぽく微笑んだ神之倉に、格は首を傾げて問い掛けた。
「どんな?」
「こんな」
言うなり、神之倉は格の手のひらをすくい取ってきゅっと握りしめた。
格は瞬間ぽかんとし、次に少し赤くなり、最後に俯いて、笑ってしまう口元を空いた手で覆い隠した。
屋外で、そして人前で手をつないで歩くのは初めてだ。
自分から手を取るのとはどこか違う。
夜気は蒸し暑いのに、手のひらが重なるぬくもりが心地いい。同時に、嬉しくて、気恥ずかしくて、なんだかそわそわする。
「さあ、何を食おうか? 好きなもの選んでいいぞ」
つないだ手を巧みに導いて人混みをすり抜けながら、露店に目を遣って神之倉が尋ねた。
「移動するからな。早く選べよ」
「移動って? 花火見ねえの?」
「もうほとんど場所取りされてるからな、ゆっくり見られるところに行こう」
ここで花火大会があると知っていた神之倉だから、穴場も知っているのかもしれない。
格は、場所は神之倉に任せることにして、露店の方へと意識を集中した。焼きそば、お好み焼き、フランクフルト、イカ焼き、たこ焼き――露店に付きものの食べ物がずらりと並んでいる。
やがていくつもの袋を手に少し離れたところに停めていた車まで戻り、2人はその場を離れた。
車を走らせ、いったん川縁を遠ざかり、小高い峠を登る道に入る。そして、舗装されていない脇道へと乗り入れた。
「ここ…?」
「来年の春、この奥に遊歩道と公園が出来るんだ。いまはまだ単なる空き地だが、川を見下ろせるようになっているから花火も見えるはずだぞ」
そして車は砂利道を通り抜け、神之倉の言葉通りに均されただけの空き地に出た。出るなり、空が明るく光る。
「あ」
格が見上げると、ちょうどそこに大きな花が咲いたところだった。
花火はばっちり見える。そしてそこには他に、車も人影もない。完全な貸し切り状態だ。
「すっげえ…超穴場」
「だろう」
「なんでこんなとこ知ってんの? 花火のことも知ってたし…」
「ああ、それは…」
神之倉は苦笑し、理由を話し出した。
古賀沢組はテキ屋稼業はしていないのだが、他の組の手がけるテキ屋業の縄張りや規模などの情報は入ってくるので、ついでに縁日や花火大会の日取りも判る。
そしてこの遊歩道と公園の予定地のことも、古賀沢の仕事の関係で知っていた。しのぎの種類はいろいろあるが、土地建物や建設関係もあるのだ。
「本拠は横浜でも、縄張り(しま)を荒らさない程度に他の土地での仕事もあるんでな」
「…そっか……」
前に誰かと来たことがあると言われても、格と出会う前のことならそれはそれで仕方ないと受け入れるつもりだったが、少しほっとした。
それを見透かしていたのか、神之倉は笑って格の頭に手を伸ばした。
「連れてきたのはおまえが初めてだよ。ここにも、花火にもな」
大きな手でそっと撫でられ、たまらない気持ちになる。以前ドライブした時も感じたが、この僅かな距離がもどかしい。
格は身を乗り出して、運転席の神之倉の首に腕を回した。神之倉は自分から顔を近づけ、その格の唇に軽く触れた。
「……ホントはこのままもっと先までって言いたいとこなんだけど」
答えは聞かなくても判っているので、格は言葉を切った。
2人きり、1日デートをして、手もつないだ。
神之倉が帰ってくるあの部屋でキスより先に進むチャンスはこれからもあるだろうが、こんなふうに浴衣を着て花火を見る機会は次はいつあるかわからない。
今度は自分から神之倉の唇を啄んで、格は笑顔で腕を解き神之倉から離れた。
「花火見ながら買ったヤツ食べよ」
後部座席に置いてあった袋の数々を引き寄せて、袋の中から缶ビールと缶コーラを取り出し、ビールの方を神之倉に手渡す。
「丸1日とは言わないからさ、またデートしような」
神之倉は答える代わりに唇に微笑を刻んで、格の手にあるコーラの缶にビール缶の縁をこつんとぶつけた。
ひときわ大きな花火が打ち上がり、続けて色とりどりの花火が夜空を明るく照らした。
−終−
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